大判例

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神戸地方裁判所 昭和31年(ヨ)29号 判決

債権者 遠藤忠剛 外六八名

債務者 川崎重工業株式会社

主文

I  債務者は、本案判決が確定するまで、

(1)  債権者1遠藤忠剛に対し、金四一六、〇〇〇円、並びに、昭和三二年九月以降毎月二四日限り金二〇、八〇〇円ずつ、

(2)  債権者2尾崎辰之助に対し、金一八〇、〇〇〇円、並びに、昭和三二年九月以降毎月二四日限り金二〇、〇〇〇円ずつ、

(3)  債権者46橋本広彦に対し、金二六〇、〇〇〇円、並びに、昭和三二年九月以降毎月二八日限り金一三、〇〇〇円ずつ、

(4)  債権者58市田謙一に対し、金一〇〇、〇〇〇円、並びに、昭和三二年九月以降毎月二四日限り金五、〇〇〇円ずつ

をそれぞれかりに支払わなければならない。

II  その余の債権者六五名の仮処分申請は、いずれもこれを棄却する。

III  訴訟費用中、債権者1遠藤忠剛、同2尾崎辰之助、同46橋本広彦及び同58市田謙一と債務者との間にかかる部分は、債務者の負担とし、その余の債権者六五名と債務者との間にかかる部分は、右債権者六五名の負担とする。

(注、無保証)

事実

第一当事者双方の申立

〔一〕  一 債権者等代理人は、

「債務者は、債権者六九名全員に対し金五〇、〇〇〇円ずつ、並びに、債権者各自に対し昭和三一年一月一日以降毎月別紙(一)記載の日に同記載の各金員を支払え。

訴訟費用は、債務者の負担とする。」

との判決を求める旨申し立て、

〔二〕  二 債務者代理人は、

「本件仮処分の申請を却下する。

訴訟費用は、債権者等の負担とする。」

との判決を求めた。

第二債権者等の主張

債権者等代理人は、申請の理由、並びに債務者の主張に対する反駁として、次のように述べた。

〔三〕 「一 債権者等は、いずれも債務者会社の経営にかかる川崎造船工場の従業員であり、同従業員等をもつて構成されている『全日本造船労働組合川崎造船分会』に属するものであるが、債務者から昭和二五年一〇月一四日附をもつて故なく解雇の通告を受けた。

よつて、債権者等は、債務者会社を被告とし、当庁に右解雇処分の無効確認訴訟を提起したところ、昭和二七年(ワ)第九二八号、昭和二八年(ワ)第八六三号、昭和二九年(ワ)第三五八号事件として審理され、昭和三〇年一二月二六日債権者等勝訴の判決の言渡があり、目下その控訴審が大阪高等裁判所に係属中である。

〔四〕 二 債権者等が右解雇処分を無効とする事由は、左のとおりである。

〔五〕  (一) 本件解雇には、日本国憲法第一四条、労働基準法第三条違反の廉がある。

債務者会社が債権者等を整理するのやむなきに至つた理由として述べているところは、ことごとく詭弁であり、真実は、債権者等が日本共産党員又はその同調者であるというので、これを企業から排除する意図に出たものである。そもそも、本件解雇の行われた昭和二五年は、朝鮮動乱の年であり、警察予備隊発足の年である。また、アメリカの対日政策が大きく転換し、ポツダム宣言や日本国憲法の平和原則が踏みにじられた年でもある。そして、アメリカは、かような自己の政策転換を阻害するものとして、反軍国主義勢力の中核である日本共産党の排除を考え、諸企業がこれに便乗して党員やその同調者の解雇を行つたのが、世にレッド・パージと称されるものであり、債務者会社が債権者等を解雇したのも、その一ケースに外ならない。レッド・パージの問題点は、就業規則所定の解雇事由にあたらず、労働法規でも保障されている行為が、共産党員や共産主義者がしたものである限り解雇に価するものと認めようとするところにある。本件の場合にあつても、債務者は、労働者の社会的経済的地位の向上に努め、会社の経営についても批判を加えた労働組合の中心的活動分子である債権者等を、企業から排除しようとしたものであるが、債務者が『非協力的破壊分子』の行動と称するものは、これから抽象的な形容詞を除けば、ことごとく労働組合活動に附随する正当な行為である。要するに、債務者は、債権者等が共産党員又はその同調者であるというので、その信条を理由に解雇したものというべきであるから、右解雇処分は日本国憲法第一四条、労働基準法第三条に違反するものとして、無効であると断ぜざるを得ない。

債務者代理人山田作之助は、本件の弁論において、右解雇処分は、債権者等が共産党員又はその同調者であるが故になされたものではないと繰り返し強弁している〔四〇〕が、同代理人は、さきにこの時の被解雇者等の選定当事者である本件債権者1遠藤忠剛が提起した当庁昭和二五年(ヨ)第四五二号身分保全仮処分申請事件にあつてはその提出にかかる答弁書(疎甲第一二号証の一)及び準備書面(同号証の二)において、債務者は、本件の債権者等が共産党員又はその同調者であるからこれを解雇したものであることを、自認していたのである。

〔六〕  (二) また、本件解雇処分は、就業規則に準拠していない。

債務者会社にあつては、従業員は、就業規則に掲げられた事由がなければ解雇されないことになつている。そして、債務者は、今でこそ就業規則第七七条第一項第二号、第五号により債権者等を解雇したと称しているが〔三三〕、以前は、解雇は自由であり、理由は必要でないと主張していた。債権者等が真実に非協力的破壊分子であるならば、もとより懲戒にも価しようし、これを解雇するのも自由であろう。しかし、日本国憲法第二八条、並びに、労働関係諸法規は、『労資協調』とか『労資一家』とかいわれる思想を排斥し、『労資は、本質的に対立する。』という考え方に立脚するものであるから、労働者が、労働者の立場から資本家の立場や方針に批判を加えるのは自由であり、債権者等の間にかような所為に出た者があるとしても、これを直ちに『非協力的』とか『破壊的』とかの名の下に企業から排除することは許されない。ただ、労働者の行為も職場規律に違反してはならぬことはもちろんであるが、その職場規律違反が解雇に価するか否かは、解雇事由が就業規則に定めてある限りこれに準拠して判定すべきであつて、使用者の恣意的な基準によつて定めるのは相当でない。しかるに、債務者は、債権者等について就業規則所定の懲戒解雇事由に該当する具体的事実を明示し得なかつたことから、殊更その適用による解雇とはいわないで、『当事者の事情』、『非協力的』、『破壊的』等の観念的、抽象的な言葉の綾に隠れて、アメリカの憲法蹂躙政策に便乗し、その解雇処分の正当性を理由付けようとしたものである。かくのごときは、当時世に行われたレッド・パージに共通の特徴であるが、まさに超就業規則的解雇であることを自白したものに外ならない。なお、債務者は、債権者等を一定の解雇基準に照らして解雇したとも主張しているのであるが〔三四、三五〕、その解雇基準と称するものは、何等就業規則上の根拠なくして債務者が一方的に定めたものであり、しかもこれをその設定以前の債権者等の行為に適用して解雇事由としたものであるから、かかる解雇処分が就業規則によらないものとして無効であることは、極めて明瞭といわなければならない。

〔七〕  (三) 更に、本件解雇は、不当労働行為である。

債権者等の大多数は、労働組合の主導的分子であり、その組合活動の経歴は、別紙(二)記載のとおりである。債務者が、債権者等の解雇の具体的理由を述べず、就業規則の適用を回避するのは、一つは、本件解雇がレッド・パージであることに由来するが、同時に、右解雇がレッド・パージに名をかり労働組合の骨抜きを策した不当労働行為であつたからでもある。債務者が前掲解雇無効確認訴訟において立証した具体的事実が、越年資金闘争、賃上闘争等の組合活動に関するもののみであつたことは、本件解雇の本質を如実に示すものといえるであろう。

債務者は、債権者等の属する労働組合がこれまで行つた争議行為を、誇大にいろいろの形容詞をもつて紛飾し、描写しているけれども、右争議行為の実態は、労働組合として当然なすべき争議に出たにすぎず、また、その枠を逸脱するものではない。そして所属組合員は、すべて組合の闘争方針に従つて行動し、債権者等もまた組合の方針に忠実であつた。それ故、かりに組合員の行為に行き過ぎがあれば、労働組合に警告を発するのが経営者としてとるべき処置であるにもかかわらず、債務者会社にはそのような例を見ないのである。債務者が個々の債権者について解雇基準に該当する所為として掲げる主要なものは、昭和二四年の越年資金要求闘争及び昭和二五年の賃上闘争に関係しているが、これらの闘争は、低賃金、高物価の状態において、生存維持のためにすべての労働者が闘わざるを得なかつたものである。大衆の争議行為の形態のみをみて、『企業の存立を危殆ならしめる』などと大げさな断定を下すことこそ、浅薄な形而上主義者のそしりを免れないであろう。これらの争議に参劃した債権者等に対する解雇が正当であるならば、債権者等が立ち去つた後の労働組合が債務者会社において行つた昭和二五年越年闘争の際の綜合事務所前坐り込み、工場内デモ、昭和二八年越年闘争の際の半日スト及び昭和三〇年越年闘争の際の二四時間ストに至つては、言語同断であり、これらの争議行為の指導者や煽動者達は、当然解雇その他の処分を受けて然るべきであるにかかわらず、債権者等は寡聞にしてこれを聞かないのである。

要するに、債務者が本件解雇処分を正当化しようと縷々主張するところは、苦渋な綴方教室の所産であつて、そのこと自体本件解雇が組合活動を理由とする不当労働行為として無効であることを証すものである。(最高裁判所昭和三〇年一〇月四日言渡判決・民集第九巻五三四頁は、組合活動が共産党細胞活動としての性格を有していたとしても、その組合活動を理由とする解雇は、不当労働行為になると判示している。)

〔八〕 三 次に、債権者等が、雇傭契約の合意解除又は解雇の承認により任意退職したという債務者代理人の主張〔一七―二六〕は理由がない。

債権者六九名中1遠藤忠剛、2尾崎辰之助、46橋本広彦、58市田謙一及び61赤田義久を除く六四名の名義で退職願が債務者会社に提出されていること、右退職願提出者、並びに、これを提出しなかつた債権者等の全員が、債務者からその主張にかかる金員を受領したこと〔一八、二一、二六〕は認める。(その退職願提出、並びに金員受領の年月日は別紙(三)A欄記載のとおりである。)もつとも、退職願を提出しなかつた右五名の債権者等は、未払賃金の一部に充当することを債務者会社に通告した後において、右金員を受け取つたものである(疎甲第一五号証参照)から、これらの債権者が任意退職したものでないことは、極めて明瞭である。

それでは、残余六四名の債権者等について、はたして債務者の主張する円満退職説が妥当するであろうか。

〔九〕  (一) この点に関する債権者等の主張を明らかにするため、まず、債権者等が解雇通告を受けてから、その大部分が退職願を提出するに至るまでの経過に触れておこう。

債権者全員を含む一〇五名の従業員は、突然債務者会社から昭和二五年一〇月一四日附の解雇通告を受け取つた。その要旨は、『やむを得ない都合により退職を願う。一〇月一九日までに任意退職を申し出ない者については、同月二〇日附をもつて本通告書を解雇辞令にかえ解職する。』というのである。この解雇通告のあつた一〇月一四日は、午後二時から五時まで労働組合、会社間に賃上問題等をめぐり団体交渉が行われていたのであるが、その席上組合は、この解雇問題について一切知らされなかつたし、翌一五日には会社の運動会があるというので、全組合員は、その準備をしていた位であつた。そして同月一五日出勤した被通告者等は、入門を拒否され、会社構内の組合事務所にも行けず、附近は、数百名の警官によつて包囲されていた。組合は、同日債務者会社とこの問題に関して団体交渉をしようとしたところ、債務者側の責任者が不在であつたため、ようやく翌一六日団体交渉が開かれたのであるが、債務者は、全く誠意がなく、解雇の具体的事由を明らかにしないばかりでなく、被通告者等が組合事務所に入ることも拒み続けた。翌一七日、債務者は、被通告者等を相手方として工場内立入禁止を求める仮処分を申請した。そして、同月二〇日になると、当初解雇に反対していた組合は、『今次の解雇は、高度の政治的乃至思想的背景を有する赤色追放であつて、この問題に関し労働組合として会社と争うことは、客観情勢上困難と考える。』との執行部案の賛否を投票に問うた結果、従来の態度を一擲して闘争放棄に決するに至つた。かくて、被解雇通告者等は、組合との連絡を絶たれ、その組合も解雇反対闘争を放棄するに至り、その大多数が、将来の生活の見透しもつかなかつたので、金を受け取りたいがために退職願を提出したものである。

右の経過によると、債務者会社は、既に昭和二五年一〇月一四日附通告をもつて一方的に一〇五名の従業員を解雇したとせねばならず、債権者等は、その解雇が無効であるとして争つているのであるから、その後に退職願の提出や金員の受領がなされたとしても、そのため当事者間に雇傭契約の合意解除が成立したと考えることは、法律上理由のないものといわなければならない。

〔一〇〕  (二) 次に、債権者36長谷川義雄、同49伊藤道治、同50井手溢雄、同53川崎孝雄、同54尾野昇、同55麻生守信、同56長尾彰平及び同57中西多喜夫の八名については、別紙(三)B欄記載のとおり、家族や知人などが勝手に代理人と称し本人の知らぬ間に退職願を提出し、退職金、解雇予告手当及び餞別金を受領したのであるから、かかる無権代理人等の行為が本人等に対してその効力を生ずるものでないことは、極めて明瞭である。

〔一一〕  (三) かりに以上の主張が理由のないものであり、債務者等の大多数が退職願を提出したことをもつて任意退職の意思を表示したものと一応認めねばならぬとしても、右意思表示は、心裡留保により無効であるといわなければならない。

一部債権者等の解雇当時の苦況は、別紙(三)B欄に摘記しておいたが、その他の債権者等も、すべて当時生活に窮していたもので、さりとて他に就職の機会もなかつたから、さしあたり会社から退職金等を受領して自己乃至家族の生活を維持する必要上やむなく退職願を提出したけれども、真実に退職する意思は、毛頭なかつたのである。債務者会社は、突如理由も示さず、弁明の機会も与えず、何人が考えても納得のゆかぬ方法で本件解雇処分を敢行した上、被解雇者等に対しては、会社内へはもちろん、組合事務所への出入すら、害したのであつてこのような事態の下において、前記解雇の通告を受けた債権者等がかかる理不尽な通告をたやすく受け容れ任意退職するとは、債務者のみならず何人も想い至らぬところであろう。まして債務者会社は、債権者等を『企業の存立を根底より危殆ならしめる性格を包蔵する』ものと確信していたのであるから債権者等が容易に応諾しないことを充分予想していたのである。事実債権者等のうち一部の者は、解雇の不当を主張して工場内に侵入し、刑事事件で退職願提出当時なお勾留されていたのである。

殊に、右心裡留保の主張を裏付ける事情として、被解雇通告者の大多数が、債務者会社を相手方として解雇無効を理由に地位保全の仮処分を申請し(当庁昭和二五年(ヨ)第四五二号事件外一件)、退職願提出当時なおこれを維持していたことを挙げなければならない。本件の債権者等についていうと、別紙(三)C欄において○印で表示した五一名が右仮処分を申請したもので、その申請の年月日は、債権者46橋本広彦(退職願不提出者)だけが昭和二五年一一月八日であり、他の五〇名が同年一〇月二〇日であつた。(右仮処分事件の進行は、その後久しく停滞していたが、債権者1遠藤忠剛外六七名が昭和二七年一一月一二日、同59高橋敏雄外九名が昭和二八年八月二一日前掲解雇無効確認訴訟を提起するに及び、申請取下となつた。)しかるに、債務者会社は、右仮処分申請当時このことを知らなかつたが、大多数の債権者等から退職願を受理した後昭和二五年一〇月二六日に至りようやくこれを聞知し、とりあえず代理人弁護士山田作之助が即日答弁書を作成、提出したと主張する。〔二三〕そして、確かに同日右弁護士作成の答弁書(疎甲第一二号証の一)が裁判所に受理されていることは、これを認めるが、この種の事件において弁護士が即日答弁書を提出するというのは異例であり、殊に、山田弁護士の場合においてその感を深くするし、また、この答弁書中第六項の債権者61赤田義久に論及した個所などは、仮処分申請の事実を聞知した即日には書ける筈がない。なお、日時の点は判然としないが、山田弁護士が前記仮処分申請書の副本を受領していることも事実である。こうした事情を綜合して考えると、やはり債務者は、右仮処分申請の当初からこのことを知つていたものと認めなければならない。

附言するが、右答弁書では、レッド・バージで解雇したというだけで債権者等が真意に基く退職願を提出して退職したという主張には触れられていない。会社が退職願提出のことを初めて主張したのは、昭和二五年一〇月二七日受附の山田弁護士作成の準備書面(疎甲第一二号証の二)においてであつて、それも『一応解雇を承認したものと認める。』といつた弱い表現に留まり、この準備書面の重点は、『企業の存立を危くし』云々のレッド・バージ論に置かれている。以上のことは、会社は、退職願受理の直後においてすら、債権者等の退職願提出がその真意に基くものと考えていなかつたことを示すものである。

〔一二〕 四 以上述べたところから明らかなように、債権者等と債務者との間には今なお雇傭関係が有効に存続していると認むべきであるが、債権者等は、債務者から解雇通告を受けて以来故なく就労を拒否され現在まで既に六箇年分余の賃金の支払を受けていない。債権者等が解雇通告を受けた当時債務者から支給されていた平均手取賃金月額、並びに、その毎月の支給日は、別紙(一)記載のとおりであつて、その後のベース・アップや定期昇給を計算に入れるならば、現在では少くとも当時の倍額にはなつている筈である。右賃金債権につき債務者が提出した消滅時効援用の抗弁〔四四〕は、その意味がよくわからないが、資本家根性を露骨に示した非紳士的な主張といえるであろう。

よつて、債権者等は、債務者会社を被告として右未払賃金請求の本案訴訟を提起すべく準備中である。(債権者等は、前述の解雇無効確認訴訟にあつては賃金の請求をしていない。)

〔一三〕 五 しかるところ、債権者等は、いわゆるレッド・バージによる被解雇者であるから、ひとり債務者会社から閉め出されたのみならず、他の企業からも門戸を閉ざされ、ようやく就職することができても、前歴が判明すれば直ちに解雇される有様で、幸にして現に就職中の者も、勤務先が弱小企業で不安定を極めているのである。かような次第で、今や売るべきものは売り尽くし、借りられる先からは借り尽くし、ようやく糊口をしのいで来たのであり、被解雇者の中からは自殺者すら二名出た位であつて、債権者等は、文字どおり赤貪洗うがごとき状態にある。(その個人別の生活現況は、別紙(四)記載のとおりである。)債務者は、債権者等中には現在収入の比較的多い者があるといつて、これらの債権者等が相当の生活をしていると主張するが、根拠に乏しい。例えば、債権者58市田謙一は、現在月収金二五、〇〇〇円を得ているけれども、昭和二六年六月栃木県の親戚を頼つて行つたが事業不振で殆ど定収入がなく、気候の変化から二人の子供が小児結核を患い、母も精神的打撃などの原因で昭和二七年病死した次第であつて、その治療費や再三の転居が生活難に輪をかけ、約三〇〇、〇〇〇円の借金を抱えた末、やつと昭和二八年七月現職を得たものであるから、前記月収中一万円は、どうしても右借金の返済にあてなければならない。もし同債権者が解雇されていなければ、その経歴等からして月収金五〇、〇〇〇円程度は得ている筈である。しかるに、前掲本案訴訟の判決が確定するまでには、なお相当の日子を要することが予想され、債権者等は、到底それまで手をこまぬいて待つ余裕がない。

よつて、とりあえず、債務者において債権者全員に対し、(イ)既往の未払賃金の内金として荒廃した家計の整理に不可欠の金五〇、〇〇〇円づつ、並びに、(ロ)本申請がなされた昭和三一年の年頭、すなわち、一月一日以降毎月、最小限の生活資金として各自の前記解雇当時の平均手取賃金月額を、その所定日に支払うことを命ずる仮処分を求めるため、本申請に及んだ次第である。」

なお、債権者1遠藤忠剛の代理人池田義秋は、次のように附加陳述した。

〔一四〕 「六 本仮処分申請事件の本案訴訟は、賃金請求訴訟であるが、これに対し先決的確認訴訟の関係に立つ債権者等、債務者間の解雇無効確認訴訟については、既に当庁において昭和三〇年一二月二六日債権者等勝訴の第一審終局判決の言渡があり、目下その第二審が大阪高等裁判所に係属中である〔三〕。かように先決的確認訴訟の終局判決があつた場合には、これを前提とする給付訴訟、並びに、その給付訴訟を本案とする仮処分事件において、重ねて当該先決的確認訴訟の訴訟物につき実質的に審理すべき余地はないから、本仮処分申請事件にあつては、右債権者等の勝訴判決により、当事者間に雇傭関係の継続している事実が確認されたことを当然の前提として審理すれば足りるのである。してみると、債権者等が賃金債権を有することは、当然推認されるところであるから、本件において実質的に問題となるのは、賃金の額、並びに、仮処分の必要性の存在に関する疎明の有無に限られるといつてよい。それ故、債務者が解雇の有効性を強調して縷々主張するところは、本件の審判の対象とならぬものと断ずべきである。

〔一五〕 七 次に、債務者は、債権者等が解雇処分を受けてから六年、その解雇の無効確認訴訟を提起してから四年の後に至り、本件賃金仮払仮処分の申請に及んだのは、その仮処分を求める緊急の必要性がない証左であるという〔五〇〕けれども、そもそも仮処分の必要性の有無は、仮処分申請の時を標準として判断すべきであるから、右主張は理由のないものである。」

第三債務者の主張

債務者代理人は、答弁並びに抗弁として、次のように述べた。

〔一六〕 一 債権者等がいずれもかつて債務者会社の雇傭する従業員であつたこと、債務者が昭和二五年一〇月一四日附をもつて債権者等に対し、任意退職の勧告に併せて右勧告に応じないときは解雇する旨の通告を行つたことは、これを認める。

しかし、右解雇が無効であり、債権者等がなお債務者会社の従業員たる地位を有するという債権者等の主張〔四―七〕は、根拠に乏しいものである。もつとも、債権者等、債務者間の当庁昭和二七年(ワ)第九二八号、昭和二八年(ワ)第八六三号、昭和二九年(ワ)第三五八号事件において、右解雇処分が無効であることを確認した債権者等勝訴の第一審判決が、昭和三〇年一二月二六日言い渡されたこと〔三〕はこれを認めるが、同判決の理由を読むと、右解雇当時の客観情勢の認識に欠け、理論的な誤謬を犯している点がみられるのみならず、右訴訟の第一審における債務者側の立証が充分でなかつたことも争えないから、債務者は、この判決を不服として大阪高等裁判所に控訴し、事件は、なお同裁判所に係属している次第である。したがつて、右債権者等勝訴の第一審判決が存在することは、債務者会社が債権者等を解雇したことが無効であるということの根拠〔一四〕にはならないのである。

〔一七〕 二 まず、債権者六九名中1遠藤忠剛、2尾崎辰之助、46橋本広彦、58市田謙一及び61赤田義久を除く残余六四名については、その縷々主張するところの解雇無効事由の存否にかかわらず、既に債務者会社との間に雇傭契約の合意解除が成立したか、そうでないとしても、債務者の申し入れた解雇を承認し、いわば円満退職したと解されるから、既にこの点において雇傭関係消滅の事実を認めるのが相当である。

〔一八〕  (一) 債務者会社は、昭和二五年一〇月一四日、債権者六九名を含む整理基準該当者一〇五名(神戸本社関係九四名、岡田浦工場関係一〇名、東京支店関係一名)に対し、任意退職を勧告し、同月一九日までに退職願を提出した者については、解雇予告手当、退職金の外特に餞別金を支給するが、その期日までに退職願を提出しない者は、同月二〇日附をもつて解雇するという通知(疎乙第一一号証)を発し、その任意退職を期待した。債権者等は、右通知に接すると、これを労働組合の問題として労使間に紛争を惹起させようと図り、通知書をとりまとめて労働組合に提出し、会社との交渉を強硬に要請したが、一方債務者会社は、労使間の信頼関係維持という見地から整理について労働組合の了解協力を得るため、個人あて解雇通知と同時に組合に対しても本件整理のやむなきに至つた事由、並びに、被解雇者の氏名を通知し、更に、同月一六日及び一八日の両日終日にわたつて団体交渉を行い、整理基準、整理事由、退職条件等について縷々説明した。これをあえて事前にはからなかつたのは、被整理者の当時の暴力的言動からして、不祥事件発生の虞があつたので、未然にこれを妨止し、混乱を最小限度に止める必要があつたためと、問題の性質上責任を労働組合に転嫁することなく、あくまでも債務者の責任において処理すべきであるという配慮からに外ならない。そして、組合執行部は、本件整理のやむを得ぬことを一応了承した上、(1)退職金の増額、(2)大衆投票の関係から同月二三日まで退職願受付期間の延長、(3)異議がある者についての再調査を要望したので、会社も(2)(3)の要望を認めたところ、執行部は、委員総会において討議の結果絶体多数をもつて会社の整理案を可決し、同月二〇日行われた組合員の全体無記名投票においても四、一七〇票対八五三票の絶対多数をもつて本件整理を正式に承認した。この結果債権者六九名中前記五名を除く全員は、組合の支持のないことを知り、勧告に応じて会社に退職願を提出し、何等異議を留めることなく予告手当、退職金及び餞別金を受領したものであるから、債務者会社との間の雇傭契約は、当事者間の合意により解除されたと認めるのが相当であり、かりにそうでないとしても、これら退職願を提出した債権者等は、債務者の解雇申入を承認したものか、少くとも異議を申し立てないことを承認したものと解すべきである。

なお、これら任意退職者を、退職願提出並びに、退職金、予告手当及び餞別金受領の年月日別に分けると、別紙(五)記載のとおりである。これによると、債権者等中には昭和二五年一〇月二四日以降に退職願を提出した者が二名いるが、その内39石野市太郎は、公傷休業中であつたため、退職願の提出期限を同年一二月五日まで延したものであり(労働基準法第一九条参照)、52北井武男の退職願の提出は、二日だけ遅れた同年一〇月二五日になつたが、これは、同人において会社の申入の趣旨を再確認して退職願を提出したものであり、会社もこれを了承して受理したものであるから、やはり一〇月二〇日附で円満退職となつたのである。

〔一九〕  (二) 債権者等代理人は、本件債権者等中にはその退職願が本人の知らぬ間に無権代理人によつて提出された者が八名(36長谷川義雄、49伊藤道治、50井手溢雄、53川崎考雄、54尾野昇、55麻生守信、56長尾彰平、57中西多喜夫)いると主張している〔一〇〕が、右主張は、これを争う。債務者会社が任意退職者に対して退職金、予告手当等を支払うについては、異議を留めずに退職願を提出した者にのみ支払うよう担当者に申し渡し、その旨を徹底させていたところであるし、また、任意退職者には、従業員が常時携帯している従業員証、通勤徽章及び健康保険証を必ず退職願と同時に提出させることになつており、かつこれを実行したのであるから、これらの者の退職願が本人不知の間に提出されたなどということは、あり得ない。岡田浦工場関係の債権者50井手、同53川崎、同54尾野及び同56長尾の四名は、退職願提出当時拘禁中又は逮捕状執行中であつたから、その退職願の提出と退職金の受領は、他人が勝手にしたものであると主張するもののようであるが、井手と長尾は、いずれも婚約者、川崎は弟、尾野は妻に、それぞれ退職手続や退職金受領等一切の権限を委任する旨の委任状を手渡しており、しかも、その委任状の日附は、いずれも一〇月二三日以前である。そして、これらの受任者は、各自委任状に基き退職願を提出し、退職金や餞別金を受領しているものであるから、委任状が偽造でない以上、その効果が本人に及ぶのは当然である。かりにこれらの退職願が右債権者等の不知の間に提出されたとしても、同債権者等は、その後債務者会社に異議も留めておらず、また、受領した退職金、餞別金等を返還してもいないのであるから、黙示的に無権代理人等の行為を追認したというべきであつて、今更その無効を主張することは許されない(民法第一一三条)。

〔二〇〕  (二) 次に、債権者中六四名は、生活難のため退職金、解雇予告手当、及び餞別金を受領する必要上やむなく退職願を提出したが、何も真実に退職する意思があつたわけでないから、右は、心裡留保により雇傭契約解除の合意乃至解約申入承認の意思表示として無効であると主張する〔一一〕が、これも甚だ根拠に乏しい。

〔二一〕   (1) 債務者会社から解雇通告を受けた一〇五名は、会社の勧告に従い任意退職するか、退職願を提出しないで解雇の効力を争うかにつき選択の自由を有していたものであつて、現に退職願の提出を拒否した者が一六名もいるのである。因みに、神戸本社における退職願受付の実状を述べると、正門前の受付所附近では連日、多数の被解雇者達が集合し種々協議していたが、大多数の者は、何等の異議も留めないで退職願を提出し、解雇日までの賃金及び予告手当の外、退職金及び餞別金をも受け取つたのであり、債務者会社は、特に受付所で退職を承認しない旨を申し述べた者数名に対しては、解雇日までの賃金と予告手当だけを払い、極めて円滑に受付事務が終了したものである。そして、本件債権者等中前記1遠藤、2尾崎、46橋本、58市田及び61赤田を除く残余六四名は、債務者会社の勧告に応じて何等異議を留めることなく退職願を提出し、引換に退職金、予告手当等の外、任意退職者のみに与えられる餞別金(平均して当時の基準賃金の一・八箇月分)をも受領したのであつて、この点訴訟提起等を一切していない他の任意退職者二三名と何等異なることなく、債務者としては、本件の場合のような集団的解雇に当つて二者を区別することは、絶対に不可能といわなければならない。殊に、本件のように、会社が被解雇者に餞別金等正規の退職金以上の金員を支給した場合、その金員は、被解雇者において今後一切退職につき異議を申し述べないという趣旨の、いわば示談金的性格のものであることは、特別の約款がなくとも、労使間において一般に行われている慣習からして当然肯認されるところであろう。いわんや、これらの債権者等は、会社に対し自己が退職したことを証明する離職票の交付方を会社に要求し、会社もこれに応じ離職票を交付しているのであるから、彼等が任意退職の事実を自認していることは、極めて明瞭である。(失業保険法第四九条参照)

〔二二〕   (2) 次に、これら六四名の債権者等は、生活に困窮していたから早急に退職金等を受領する必要があつたというのである〔八、一一〕が、元来債務者会社にあつては、一般従業員に対する昭和二五年一〇月分の賃金を同月二八日に支給することになつていたにもかかわらず、被整理者には特にこれを同月二〇日に繰り上げ支給する措置を講じたし、かつ、被整理者は、六箇月間失業保険金が保障されていたのであるから、わずか二、三日の間に生活が困窮するとは到底考えられない。このことは、退職願提出を拒否した債権者1遠藤忠剛、同2尾崎辰之助、同46橋本広彦及び同61赤田義久が解雇の五箇月乃至六箇月後に、債権者58市田謙一が解雇の二箇月後にやつと会社が供託した退職金及び予告手当を受領している事実〔二六〕と対比することにより、おのずから明らかであろう。ひつきよう、これらの五名を除く残余の債権者等が、その真意に反してまで退職金を受け取らねばならぬ程窮乏していたというのは、全くの詭弁にすぎない。

〔二三〕   (3) また、債権者等代理人は、右退職願の提出が真意に基かぬという主張の根拠として、一部の債権者等が解雇当時債務者会社を相手方として身分保全の仮処分を申請していた事実を掲げている〔一一〕が、これに対する債務者の反駁は、次のとおりである。

まず、債権者等と同時に解雇された従業員中には、仮処分も本案訴訟も提起していない完全な円満退職者も一二名の多数にのぼつているし、本件の債権者等中にあつても、42神岡三男、43松尾美恵子、44露本忠一、45窪園賢一、47庁泰介、48浅田義美、49伊藤道治、50井手溢雄、51竹田初代、52北井武男、53川崎孝雄、54尾野昇、55麻生守信、56長尾彰平、57中西多喜夫、62大西恵、63北川実及び69貴田楢蔵の一八名は、解雇当時仮処分を申請していなかつたのである。そして、残余の債権者等は、昭和二五年一〇月二〇日連名で仮処分を申請したというのであるが、その後前述のとおり労働組合の本件整理承認という被解雇者の意思決定に重大な要因となるような事態が発生し、被解雇者各個から書面による退職の意思表示がなされたのは多くその直後のことに属するのであるから、仮処分申請と退職願提出のいずれを本人の真意とみるべきかはおのずから明らかであろう。

更に債務者会社は、多数被整理者等から退職願を受理した当時にあつては、債権者等主張のような身分保全の仮処分申請がなされていることを全く知らなかつたし、また、知り得べくもなかつたのである。むしろ、会社は、解雇通知直後の昭和二五年一〇月一七日、被整理者全員一〇五名を相手方として会社構内立入禁止の仮処分を申請したのであるが、その後退職願を提出した者については、その退職の意思が真実であることを信じたればこそ、逐次申請を取り下げ、結局退職願を提出しなかつた一六名と遠隔地のため退職願提出の報告が遅れた岡田浦工場関係五名だけを残し、これに対し同月二八日仮処分命令が発せられたのである(疎乙第一三号証)。そもそも、債権者等の一部が解雇当時身分保全の仮処分を申請していたといつても、それは、会社に対する意思表示ではなく、また、その審理のために口頭弁論も開かれず、債務者会社の審尋も行われなかつたから、会社は、退職願提出締切日たる同月二三日当時何も知らなかつたのである。債務者会社が非公式に仮処分申請の事実を聞知し、代理人弁護士山田作之助が申請書の副本を領収したのは、その後のことであつて、とりあえず同月二六日附をもつて一応の答弁書を提出したのであるが、これは、口頭弁論を経ずに仮処分決定が発せられてはならぬという訴訟代理人としての配慮から出たものに外ならない。事実会社としては、仮処分申請の事実を知らなかつたからこそ、退職願を受理し、退職金の外餞別金をも支給したのであつて、その後に至り、意外にもこれら退職願提出者の間に仮処分を申請した者がいることを知つても、既に行われた雇傭契約の合意解除乃至は解雇の承認の効力に、何等影響があるべきいわれはないのである。

これを要するに、債権者等の一部が解雇当時身分保全の仮処分を申請していたという事実は、その心裡留保の主張を裏付ける何等の根拠とならぬものといわなければならない。

〔二四〕   (4) なお、債権者等の提出した疎明資料中には、債権者等の一部の者は職業安定所から失業保険金を受領する際、安定所の係員に対し解雇には不服であるがとにかく受け取ることにすると念を押したという事実を記載したものがあるが(疎甲第一七号証の一、二)、それは、第三者に対する意思表示であつて、債務者会社の全然知らない事実である。しかも、この申出は、おそらく退職願を提出しなかつた前記一六名中の者がしたものと考えられ、そうでないとしても、退職願提出後の事と想像されるから、かような申出があつたからといつて、退職願提出による任意退職の意思表示を無効とするのは、もとより当らない。

〔二五〕   (5) 更に、一旦退職願を提出し、書面により任意退職の意思を明示しながら、表意者自身が後日に至つてその無効を主張するのは、禁反言の原則に反するのみならず、民法第九三条の明らかに禁ずるところである。そして、もし債権者等の多くが退職の意思がないのに退職願を提出し、退職金や餞別金を受領したのであれば、右は、まさに詐欺行為であり、かりにその任意退職の意思表示の心裡留保による無効が肯認されるならば、かような詐欺行為を是認するにも等しく、法律生活の安定は、到底期し得られないであろう。

〔二六〕 三 以上、債権者等中退職願を提出した六四名について、雇傭契約の合意解除乃至解雇の承認の事実を認むべきゆえんを詳述したのであるが、債務者会社は、退職願を提出しなかつた債権者1遠藤忠剛、同2尾崎辰之助、同46橋本広彦、同58市田謙一及び同61赤田義久に対しては、昭和二五年一〇月二〇日附を以て遡及解雇し、同年一一月一日退職金と解雇手当を供託したところ、その後右五名全員がこれを受領したのであるから、右事実は、同人等も自己に対する解雇申入を承認したことの証左に外ならない。もつともこれら五名の債権者等は、右供託金を受領する前に、昭和二六年三月二九日附内容証明郵便をもつて会社に対し、未払賃金の一部としてこれを受け取る旨の通告を行つたと主張している〔八〕が、これは、全くの偽りである。すなわち、債権者1遠藤は、右通告以前の同月一四日、債権者2尾崎は、更にその以前の同月一〇日、何等異議を留めることなく供託金を受領しており、債権者46橋本及び同58市田に至つては、何等その主張のような通告を行つていない。なお、会社は、債権者1遠藤等から右通告に接するや、折り返し『供託金は、退職金及び予告手当であるから、これを賃金の一部として受け取ることは認めない。』と回答しているにもかかわらず、未だにその返還を受けていないのであるから、これまた、同人等が自己に対する解雇を承認していることを意味するものである。

〔二七〕 四 上述のような次第で、債権者六九名、就中退職願を提出した六四名は、いずれも雇傭契約の合意解除乃至は解雇の承認により、既に債務者会社の従業員たる地位を喪失したというべきであるが、かりにそうでもないとしても、会社が債権者等に対して臨んだ解雇処分には、何等債権者等代理人の主張するような無効事由は存しないから、債権者等と債務者会社との間の雇傭関係は、もはや存続していないのである。

元来本件解雇処分は、当時全国の重要産業会社が解雇基準及び方法を殆ど同じくして過激分子を企業から排除したところの、いわゆるレッド・パージに属するものであつて、それが有効であるとする債務者の主張を明らかにするためには、まずレッド・パージを必要とした当時の国内一般情勢に触れておかなければならない。

終戦後のわが国における労働組合運動は、燎原の火のごとく全国を風靡したのであるが、敗戦による人心の混迷状態に乗じた左翼勢力の牛耳るところとなり、例えば、当初生活不安から立ち上つた官公労組の経済闘争も、政治革命を目標とする二・一ゼネストへと直進して行つたことは、今なお記憶に新しいところである。彼等は、組合活動の仮面にかくれて、宣伝ビラの配布、争議に際しての暴力行為等、細胞による破壊活動に狂奔し、企業秩序保持のための経営者の努力は、不当労働行為と攻撃され、既に敗戦によつて疲弊し切つたわが国の産業は、これら非合法活動によつて最後の止めを刺されようとしていた。このような情勢から、昭和二一年より同二四年にかけて、労働関係調整法、国家公務員法、公共企業体等労働関係法、団体等規制令、労働組合法の全面改正等、労働組合活動の行き過ぎを是正するための一連の立法措置がとられると共に、昂進するインフレーション下にあつて全国的に続発する賃上闘争に対処するため、昭和二三年一一月物価に影響を与える賃金引上を抑制するいわゆる賃金三原則が、総司令部から勧告されるに至つた。しかし、これらの諸立法も、当時の風潮の下にあつては殆ど空文に等しく、左翼勢力は、これを反動立法と攻撃し、神戸市にあつても、昭和二四年五月公安条例の市議会上程に際し、多数の示威、暴力によつて圧迫、妨害を加え、遂に同月一九日には暴動化し、一三名の検束者を出すに至つた程である。これら組合運動に名をかりた暴力的破壊活動は、日本共産党に指導されて、昭和二四年に至りその極に達し、平事件、日鋼広島事件等、同党員の非合法暴力行為であることが明らかなものが勃発したのみならず、下山事件、三鷹件及び松川事件のいわゆる国鉄三事件は、その真相はともかくとして、日共暴力革命の前哨戦と噂され、国民一般は、日共の破壊的性格の前に戦々兢々たる有様であつた。加うるに、同年九月『ソヴエトは、原爆を所有している。』というモスクワ放送の発表に引き続き、同年一〇月中共軍が南京に入城し、中華人民共和国の成立が宣言されるに及び、日共の宣伝、謀略、破壊活動は、あたかも革命前夜を思わせるものがあつた。

かかる情勢にかんがみ、占領軍当局も、遂に昭和二五年六月、日共幹部の追放と日共機関紙の刊行停止を指令し、続いて、新聞その他の報道機関、電気産業事業、映画等の公共事業における共産主義者及びその同調者の排除を、各使用者の自主的立場において行うべきことを示し、更には、民間基幹産業の代表者及びその労働組合の代表者に対し、総司令部労働課長エーミス氏より、同年一〇月中に共産党員及びその同調者を各企業から排除するよう勧告があつたのである。以上の諸事情の下にあつて、当時のすべての大会社が、右エーミス氏の勧告に応じ同月中にいわゆる特別整理を断行するのやむなきに至つたのは、まことに当然であるといわなければならない。

〔二八〕 五 ひるがえつて、債務者会社は、わが国一、二を争う造船所として業界に占める地位は極めて大きなものがあつたが、数次にわたる戦災によつて造船工場としての機能の大半を失つたまま敗戦を迎え、従業員の数も戦時中の数分の一に減少し、かつては戦艦、空母を建造した大船台の片隅で小漁船を造つている状態であつて、前途の見透しは更になく、ようやく計画造船の開始によりかすかに曙光を見出したものの、その計画造船も第五次(昭和二四年)以降は殆ど絶望視され、わずかに外国船の受注のみが唯一の血路であつたが、これも激烈な受注競争、占領下の制約、為替レートの関係から決して楽観を許されず、更に、経済九原則、ドッヂ・ラインに基く冷厳な諸方策の実施は、益々事態を悪化させた。このような事態に対処し、債務者会社は強力な再建を図るため、昭和二四年三月綜合企画委員会を設置し、経理、人事、材料、設備等の経営全般にわたつて必要な合理化方策を講じたのであるが、客観情勢はいよいよ深刻化し、遂に泉州工場閉鎖のやむなきに至り、四箇月にわたる従業員との紛争の末、七月二三日ようやく妥結調印した。この間にあつても、債務者会社は、人員整理を最小限度に止めるようあらゆる努力を続けて来たのである。

なお、債務者会社は、賠償工場に指定され、また、進駐軍管理工場として軍の管理下にあり、会社事務所内には軍代表者ハンダートマークが常駐していて、会社の経営、特に労働問題についてしばしば厳重な警告を繰り返し、しかも、会社の生命たる船舶の建造は、すべて総司令部の許可を必要としたのであるから、債務者会社としては、軍の意向を無視して経営することは全く不可能であつた。

上述のような困難な事態にあつて、会社再建の諸施策を強力かつ円滑に実施して行くためには、特に従業員の理解と協力が強く要請されることは、いうまでもない。したがつて、債務者会社は、経営協議会等を通じ再三にわたり会社の現状や方針を能う限り説明し、その協力を要請したのであつた。しかるに、債権者等少数従業員は、会社の窮状を知りながらその業務運営に協力せず、会社再建を妨害し、職場の規律を乱して省みなかつたのであるから、債務者会社としては、企業の維持と善良な一般従業員及びその家族の生活保障のため、一切の私情をなげうち、これを整理せざるを得なかつたのである。

〔二九〕 六 そこで、以下債権者等過激分子が日本共産党川崎造船細胞を背景に債務者会社内で行つた違法行為を、概括的に述べることとする。

〔三〇〕  (一) 昭和二四年頃におけるわが国の労働運動は、インフレ下の賃上要求という積極的闘争から、むしろデフレ下の賃下反対、賃金遅欠配反対、工場閉鎖反対という、いわば消極的闘争への質的変化を示したものであるが、かかる一般的傾向にもかかわらず、債務者会社の労働組合は、その上部団体たる全日本造船労働組合(全造船)又はその分会内部の過激分子に煽動されて、同年四月の最低賃金要求を始めとし、およそ会社の支払能力を度外視した要求を次々とつきつけ、闘争のための闘争を繰り返した。かくする中に、泉州工場の閉鎖(同年七月)、電機部門の配置転換等をめぐる諸紛争の後、これをあきたらずとする過激分子の総改選動議により、執行部は総辞職し、改選の結果、執行委員中半数を共産党員が占めるに至るや、直ちに二七項目にわたる大量要求を掲げて、益々その暴力的、破壊的性格を露呈するに至つた。たまたま、かねて産業防衛闘争即権力闘争の方式をもつて一挙に吉田内閣打倒、人民政府樹立を企図し、非合法手段をも辞せずとする極左勢力による夏期一大攻勢が失敗に帰し、更に、全労連、産別等の下部組織において大量脱退をみたため、左翼戦線は大幅に凋落し、日本共産党は、その最後の拠点を残存容共労働組合乃至経営細胞に求め、全力をこれに傾注して頽勢の挽回を図つた結果、債務者会社労働組合の赤色急進的色彩は、益々濃厚となり、昭和二四年末から翌年春にかけて、労働攻勢に擬装された暴力革命を指向する破壊活動は、その極に達した。当時の日本共産党の破壊的性格及び活動は、連合国最高司令官のしばしばの書簡により明らかであるが、その指摘するところは、占領下における日本及び日本国民に対し憲法その他の法令に拘束されることなく法規範を設定する最高の権能を有する連合国最高司令官が、占領政策の基礎となるものとして指摘した事実判断であるから、占領治下にある何人もこの判断を尊重しなければならなかつたし、また、個々の党員についても反証のない限り右の事実判断が妥当するものといわなければならない。殊に、債務者会社は、当時日本共産党の関西における拠点工場に指定されており(疎乙第二五号証の二の二)、党上級機関の指示命令が、一貫して精力的にここに集中されていたのである。(昭和二四、五年当時の債務者会社における労使間の闘争の具体的経過は、大要別紙(六)記載のとおりである。)

〔三一〕  (二) これらの破壊活動の中核をなしたのは、日本共産党川崎造船細胞に外ならないが、そもそも同細胞の性格はいかなるものであろうか。

(1) 川崎造船細胞の活動は、外形上の相似にもかかわらず、実質においては正当な組合活動とはその目標、性格、並びに、具体的戦術を異にしていた。例えば、一般組合員は、賃上闘争を生活向上のための経済闘争と認識しているのに対し、細胞及び細胞員は、これを暴力革命を目的とする政治闘争の手段に利用しようとしていたし、また、生産復興闘争にあつても、一般組合員は、文字どおり生産復興、会社再建を意識しているのに対し、細胞及び細胞員は、逆に生産秩序の破壊による経済力の消耗とこれに続く社会混乱を企図していたのである。

(2) 細胞活動は、組合主義運動ではなく、暴力革命を目標とする政治闘争、権力闘争が主体であつた。日共の『行動綱領』その他の関係文書は、日共の究極の目的が人民政府の樹立にあることを明示しており、これが細胞活動にもそのまま踏襲され、一切の闘争及び戦術行動が労働組合主義を逸脱し、この目標のために策定、実行されていた。特に、コミンフォルム批判により、当時の日共の議会主義的平和革命戦術は、マルクス・レーニン主義と全く別個のものであると指摘され、日共がこの批判を無条件に承認し、暴力的手段により民族解放の目的を達することを決定して以来、これに応ずるかのごとく、細胞の活動をとみに激化し、反政府、反税闘争、非合法デモ、反占領軍的言動等の権力闘争が活溌に展開され、また、この目的のため職場内にあつては、盛に党勢力の拡大強化工作や党教育が行われた。

(3) 更に、川崎造船細胞は、党の上級機関の指示命令に従つて行動していた。細胞員は、日共の党是と上級機関の指示命令をそのまま職場に持ち込み、経営秩序を無視して具体的にその実現を図つていたもので、このため個々の細胞員は、毎日『職場の出来ごと、うわさ』の日常報告及び活動状況等の報告を求められていた。けだし、日本共産党規約には、組織の基本原則として『(a)個人は、組織に服従する。(b)少数は、多数に服従する。(c)下級は、上級に服従する』という三項目が明記されているのである。

(4) 細胞及び細胞員は、従業員大衆の間に革命意識を醸成することに努め、組合の意思決定を細胞の方針に一致させることができた場合には組合活動の形式をとるが、そうでない場合は、細胞自体の立場から各職場の従業員を煽動し、大衆の圧力を利用して職場闘争や職制に対する闘争を行つた。例えば、しばしば現場掛長、課長、部長等に対し圧迫的又は脅迫的言動をもつて要求事項の即時実現を迫り、容れられないと、会社が不誠意であると宣伝して、従業員の職制に対する不信、反感、抗争意識の激化を図つた。そして、組合幹部が細胞の方針どおりに動かない場合には、一方的見解からしてこれを非難、攻撃し、また、アジビラ、大衆デモ等による圧力を加え、大衆を細胞の指向する線に動員しようとした。

(5) 細胞は、ソ連、中共等の共産諸国のみが日本の労働者の解放を図る唯一の平和勢力であり、米軍を中心とする占領軍は、日本を植民地化、軍事基地化し、遂には日本国民を奴隷化しようとする帝国主義的侵略軍隊であるとする立場から、日本の植民地化、軍事基地化反対、全面講和、民族独立等の政治的スローガンを掲げ、反占領軍闘争を行つて、大衆をこれに引きずり込もうとした。

(6) そこで、細胞員等は、以上のような目的を達成するため、過激な文言を用いた虚偽、捏造の記事を細胞機関紙やおびただしい数のアジビラに記載し、これを就業時間中と否とを問わず、社の内外に配布又は貼付し、職場規律を全く顧みるところがなかつたのである。

債権者等は、すべて右に述べたような性格を有する日本共産党川崎造船細胞の構成員乃至同調者として、生産阻害、職場秩序攪乱の党目的を達成、遂行するため、しばしば破壊的活動に参加して積極的役割を果したものである。

〔三二〕  (三) 債権者等により会社内で行われた主な事件を例示すると、次のとおりである。

(1) 山猫スト

(イ) 昭和二四年一二月三日造機工作部工具、組立各工場における集団職場放棄と不法デモ

(ロ) 同月六日同各工場における不法デモと作業妨害

(ハ) 昭和二五年四月二五日造船工作部仕上旋盤職場の不法総退場

(ニ) 同年五月一二日造機工作部機械、組立各工場における不法集団職場離脱

(ホ) 同月一三日造機工作部機械、製罐、内火、機装各工場、電機部及び修繕部における集団職場放棄と不法総退場

(2) 昭和二四年五月一九日公安条例反対デモ参加のための集団職場離脱

(3) 同月二一日右デモの際の被検挙者釈放要求デモ参加のための集団職場離脱

(4) 同年一二月一六日所長室前坐り込み暴行

(5) 昭和二五年五月一〇日フアンマーノ号作業員集団職場離脱

(6) 同月一二日造機工作部長室坐り込み

(7) 同月一三日証拠写真の破棄強要

(8) 同月一五日造機工作部長室坐り込み

(9) 同月造船工作部次長吊し上げ

(右の内若干の事件の具体的内容は、別紙(七)記載のとおりである。)

〔三三〕 七 以上説述したような事情から、債務者会社は、企業の存立を維持し業務の正常な運営を図るため、やむなく債権者等非協力的破壊分子の解雇を決意し、就業規則第七七条第一項第二号の『やむを得ない業務上の都合による場合』、並びに、同条項第五号の『その他第二号に準ずるやむを得ない事由がある場合』により、本件整理を実施するに至つたのである。民法第六二七条第一項には『当事者カ雇傭ノ期間ヲ定メサリシトキハ各当事者ハ何時ニテモ解約ノ申入ヲ為スコトヲ得』と規定されていることからして明らかなとおり、元来雇傭契約の解除は、それが解雇権の濫用とならぬ限り使用者の自由に委ねられているのである。ただ、社会法的見地から解雇権の制限として、労働組合法第七条の不当労働行為禁止、労働基準法第一九条の解雇制限、同法第二〇条の解雇予告に関する規定が設けられているにすぎず、それ以外の解雇の制限は、もつぱら労働協約又は就業規則に委ねられる建前になつているのである。そして、昭和二五年一〇月当時債務者会社と労働組合の間には労働協約が締結されていなかつたから、本件整理は、債務者会社が自己の保有する解雇権に基き、就業規則に準拠して行つた適法の措置であるといわなければならない。

〔三四〕  (一) しかしながら、債務者会社は、整理実施の慎重を期するため実施基準を設定し、

(1) 会社再建に対し、公然であると潜在的であるとを問わず直接、間接に会社運営に支障を与え、又は与えようとする危険性のある者

(2) 他よりの指示を受けて煽動的言動をなし、他の従業員に悪影響を与え、又はその虞のある者

(3) 事業の経営に協力しない者など、会社再建のため支障となるような一部従業員

を整理の対象とすることにした。

〔三五〕  (二) 右整理基準を具体的にいうと、

(1) 暴力を行使し、或は不穏当な言辞を弄する者

(2) 平素職場規律を軽んずるような言辞を弄し、又はこれに違反する行動のあつた者、並びに、みだりに職場規律違反を煽動する言動のあつた者

(3) 就業時間中会社の業務を行わず、党又は細胞の機関紙、出版物、ビラ等を配布した者

(4) 会社の経営方針及び運営に関し、殊更事実を歪曲した宣伝、誹謗、煽動を行つた者

(5) 職制に対し、組合の正式な指示なくして故意の反対をし、又は作為的中傷、誹謗をした者

(6) いわゆる山猫スト等違法な争議行為を行つた者、又はこれを煽動した者、並びに、正常な組合活動に非ざる行動をした者

(7) 占領政策を中傷、誹謗し、又は反占領軍的言辞を弄し、会社に不利益を与え、又は与えようとした者

(8) その他、会社の運営を阻害し、又はその虞のある者

が整理の対象となつたのである。

〔三六〕  (三) 債務者会社において債権者等が右整理基準に該当すると認めた具体的事由を個人別に掲げると、退職願を提出しなかつた1遠藤忠剛、2尾崎辰之助、46橋本広彦、58市田謙一及び61赤田義久の五名については別紙(八)、これを提出した残余六四名については別紙(九)記載のとおりである。

〔三七〕   (1) すなわち、退職願を提出しなかつた右五名の債権者等は、いずれも職員であり、しかも、管理監督の要職にある者、又は幹部要員として会社がその将来を期待する地位乃至その資格を有するものであつた。本来従業員は、雇傭契約を締結した以上機密を守り、誠実に職務を遂行するなどの義務を負うことは当然であり、労使関係は、かかる信頼関係を基盤として成り立つているのであるが、就中職員は、その職務が経営の根本に触れ、或はその機密に属するなど、高度かつ広範囲のものが多く、しかも、その権限の範囲内で自由な判断に基き処理するよう裁量に委ねられているところも多いのであるから、会社と職員との間は、工員と比較し特に高度の信頼関係を紐帯としているのであつて、かかる信頼に価しないものは、職員としての資格を有しないものといわなければならない。しかるに、同債権者等は、すべて共産党員乃至はその同調者であり、その会社内における行動に徴し、会社企業を破壊する虞のある者か、少くとも非協力者というべきであつて、これを整理の対象としたのは、極めて当然の措置である。

〔三八〕   (2) また、退職願提出者の殆ど全員は、製造部門を担当する直接作業員であつた。本来従業員は、会社に対し従属関係に立ち、債務者会社の労働契約約款中に明示してあるように、『入社後は会社の諸規則を遵守し、会社の指示に従い誠実に勤務するもので、万一不都合な行為により義務に違反したときは、保証人と連帯でその責任を負う』べきものである。殊に、現場作業員は、上司の指示命令に従い、定められた時間与えられた仕事を忠実に遂行するのが第一義であるといわなければならない。しかるに、現場従業員たる債権者等は、日本共産党並びに同川崎造船細胞の指示方針を至上とし、会社の経営方針、指示命令を無視するにとどまらず、あえてこれを中傷、誹謗し、その余の細胞員及び同調者と共謀して他の一般従業員を煽動し、事ある毎に職場規律の破壊、攪乱を図り、従業員大衆の間に会社に対する不信、反感、対立抗争意識を醸成させるために誇大、歪曲宣伝をほしいままにし、生産を停滞させて、少しも省みるところがなかつた。しかも、所属長や他の上司から注意、訓戒を受けると、『憲法で保障された言論、結社、信条の自由を侵害する。』『組合活動の自由を弾圧する。』などと逆宣伝し、ために、会社職制における上下の命令服従関係、並びに、その精神的基盤としての信頼関係は、全く破壊、攪乱されるに至つたのである。更に、『団体作業』や『流れ作業』に従事しながら、勤務時間中しばしば無断で職場を離脱し、作業を放棄して、それぞれの職場における作業工程に重大な支障をもたらしたのみでなく、事ある毎に他の作業員を煽動し、その作業を妨げ、生産能率を著しく低下させ、会社に甚大な損害を与えた。要するに、従業員として百害あつて一利なき存在であつたから、会社がこれを整理しなければならなかつたのは、けだし当然である。

〔三九〕 八 以上、債務者会社が債権者等に対して行つた解雇処分が有効であるゆえんを詳述したのであるが、なお、右解雇処分を無効とする債権者等の主張に対して若干の反駁を加えておく。

〔四〇〕  (一) 第一に、本件解雇処分は、憲法第一四条、労働基準法第三条に違反するもの〔五〕でない。

債務者は、頻発する破壊活動から企業を防衛するため、債権者等個々人の具体的事由に基いてこれを解雇したのであつて、何も債権者等が共産党員又はその同調者であるとか、共産主義を信奉する者であるとかいつたこと自体を理由とし、すなわち、債権者等の思想、信条による抽象的危険性に基いてこれを解雇したのではないから、右解雇については、憲法第一四条、労働基準法第三条違反の問題が生ずる余地はない(最高裁判所昭和三〇年一一月二二日言渡判決参照)。

〔四一〕  (二) また、本件解雇処分が債権者等の組合活動を理由とした不当労働行為であるとする債務者等の主張〔七〕も当らない。

およそ企業の発展が労働組合の協力なくして望み得ぬことは、債務者会社の熟知するところであつて、債務者は、組合の健全な発展を切に希望しており、正常な組合活動は、これを尊重こそすれ抑圧する意図などは毛頭有していないのである。しかし、既述のとおり債権者等が日本共産党川崎造船細胞を中心として敢行したいろいろの破壊活動は、多くの場合穩健な組合幹部とその方針に反して行われたもので、表面組合活動を装つてはいたものの、本質的にはこれと別個のものと観念するのが正当である。さればこそ本件整理後行われた組合員の一般投票においても、絶対多数をもつて右整理を承認し、大多数の組合員が、正常な組合活動を守るため債権者等の解雇を予てから希求していたことを表明したのである〔一八〕。債務者会社は、かような破壊活動の故に債権者等を解雇したのであつて、もとより右解雇は、債権者等の組合活動自体を理由としたものではない。この点に関する債権者等の主張に対しては逐一反駁する煩に堪えず、またその必要も認めないが、ただ、債権者等解雇後の組合活動の指導者がなぜ処分されなかつたのかと問うている点〔七〕に答えると、昭和二五年の越年闘争の際の綜合事務所前坐り込みという事実については、かような事実自体がなかつたから、これは論外として、昭和二八年の越年闘争の際の半日スト、昭和三〇年の越年闘争の際の二四時間スト等にあつては、組合執行部は、予め組合員の一般投票により罷業権の委譲を受け、会社との間に締結された争議協定に従つてストライキ実施二四時間前にはこれを会社に予告し、組合員総退場に当つては、群集心理による不測の事態の発生を避けるため、各職場の責任者の統制下に秩序整然とこれを行つたのであつて、債権者等の行つた数々の企業破壊活動とは、その本質を異にするものである。

〔四二〕  (三) なお、本件整理は、労使間の信義則にもとるものではない。

債務者会社は、被整理者に対して規定どおりの退職手当及び法定基準をはるかに上廻る予告手当の外に必ずしも支給義務のない多額の餞別金をも附加支給し、資金全額を前払し、退職願の受付期限も労働組合の要求どおりに延長した〔一八〕のみならず、社宅居住の被整理者については、管理規則上は退職後遅滞なく退去すべきものとなつているのにかかわらず、今日に至るまで六年余の長きにわたりその居坐りを黙過するなど、その処遇については他社にその例を見ない格別の寛大な態度をとつて来たのである。なお、本件整理の結果債権者等の生活が危殆に陥つた〔一三〕といつても、それは、解雇一般についていえることであつて、特に本件の場合をとりあげて喋々するのは当らないし、その生活難も、自己の企業破壊的非協力行為の結果として、債権者等の当然忍ぶべきものである。債権者等は、本件整理の前日の団体交渉において債務者会社がこれに触れなかつたことを責めている〔九〕が、それは、上述のとおり債権者等の暴力的行為による不測の事態の発生を避止するためであつて〔一八〕、会社は、本件整理の前後において工場内の秩序維持のために万全の措置を講じたのであるが、それでもなお右整理直後に不法侵入、会社幹部吊し上げなどが行われたのである。また、かりに会社が事前に労働組合に本件整理をはかつた場合、組合は、その内心はともかくとして、立場上会社の申入を応諾するものとは到底考えられなかつたし、それは、組合を徒らに苦境に陥れるだけで、事態の解決には何等役立つところがなかつたであろう。いわんや、当時にあつては労働協約も失効しており(別紙(六))、会社は、形式上も本件整理について組合にはからねばならぬ義務はなかつたのである。かような次第で、会社としては、本件整理の趣旨、方法、被整理者の処遇等について、組合の意見をも尊重し、充分条理を尽くしたつもりであつて、この点に何等非難されるべきところはない。

〔四三〕 九 以上要するに、債務者会社が債権者等に対して行つた解雇処分が無効であるとする債権者等代理人の主張は、すべて理由のないものである。したがつて、債権者等は、右解雇により債務者会社の従業員たる地位を喪失したというべきであるが、かりにそうでないとしても、債権者等が本件仮処分申請の本案請求権として掲げるところの賃金債権は、もはや時効により消滅に帰したものと解されるし、また、かりにそうでないとしても、その行使は権利の濫用として許さるべきでない。

〔四四〕  (一) すなわち、債務者会社が債権者等に対し解雇を通告したのが昭和二五年一〇月一四日であることは、前述のとおりであり〔一六、一八〕、債権者等が右解雇処分を無効として本件賃金仮払仮処分の申請に及んだのは、昭和三一年二月二日であるから、その間に五年以上を経過していることになる。しかるに、賃金請求権は、二年の短期時効によつて消滅するのである(労働基準法第一一五条)から、もはや債権者等は、右解雇通告を受けてから以降の未払賃金を請求し得ないものといわなければならない。

〔四五〕  (二) かりに右消滅時効の抗弁が成立しないとしても、債務者会社にあつては、債権者等の解雇後何回にもわたつて人員の増減、配置転換、昇給等が行われ、その度毎に職場事情が変更しているのであるから、今更五、六年も前の被解雇者を復職させることが困難であることは、いうまでもないところであり、債権者等がこの復職を前提として長年月分の賃金の支払を対価たる労働の給付もなくして求めるのは、まさに権利の濫用と評すべきである。

〔四六〕 一〇 かりに債務者等の主張する本案請求権の存在が認められるとしても、これに基く本件仮処分の申請は、以下述べる理由により失当であるといわなければならない。

〔四七〕  (一) まず、本件仮処分申請が債権者等において解雇通知を受けてから五年以上も経過した後になされたものであることは、前述のとおりであり〔四四〕、債権者等は、右解雇通知を受けてから程なく当庁に解雇無効を理由とする地位保全の仮処分を申請したものの、その二年後に至つて右申請を取り下げているのである〔一一〕。したがつて、債権者等は、本件解雇処分の無効を前提とする仮処分の必要性がないことを自認し、右仮処分を申請する権利を放棄したものと認めるのが相当であるから、それにもかかわらず同一理由に基き同一趣旨の仮処分を求めて繰り返された本申請は、許さるべきではない。

〔四八〕  (二) また、債権者等は、前記第一回の仮処分申請を取り下げてから後は、権利の上に眠つていたものというべきであるから、債権者等が本件仮処分を求める権利は、行使を怠ることに基く権利失効(Verwirkung)の法理により消滅に帰したものといわなければならない。

〔四九〕  (三) 更に、本件仮処分は、その必要性がない。

〔五〇〕   (1) 債権者等は、本案判決の確定を待つていては生存を全うし得ないというような老人でもなければ病人でもない。いずれも充分な生活力を有する青壮年である。そして、解雇後失業保険金の支給を受け、しかも、その大多数は、他に就職し又は自ら事業を営み、相当の収入を得てその生計を維持しているのである。債権者等の主張を額面どおり受け取つても、月収金一五、〇〇〇円以上の者が多く、中には債権者58市田謙一のように月収金二五、〇〇〇円にものぼる者があり、相当の生活水準を保つていることが明らかである。また、債権者等が本件解雇処分を受けてから六年以上を経過しながら現に健在である事実は、その間生活を維持するに足る収入があつたことの証左であるといえよう。そもそも債権者等は、昭和二七年債務者会社を被告として本件解雇処分の無効確認訴訟を提起しながら、久しく賃金仮払の仮処分を申請することなく、昭和三〇年一二月二六日勝訴の第一審判決が言い渡されるや、にわかに緊急の必要が生じたと称して本件仮処分申請に及んだものであるが、判決の言渡があつた日から突如としてその収入を失つたものとは常識上考えられず、解雇後五年以上も経過すれば、仮処分の必要性は、消滅こそすれ発生する理由はないのである。

〔五一〕   (2) 次に、個々の債権者についても仮処分の必要性に関する債権者等代理人の主張をそのまま容認することはできない。

例えば、債権者1遠藤忠剛は、東大法学部、債権者2尾崎辰之助は、東大工学部の出身者であり、共に五一才の働きざかりであるから、働く意思さえあれば充分その生活を維持し得ることは、いうまでもない。事実遠藤は、語学の才能を買われて大阪の貿易会社であるコーンズ・カンパニーに勤務していたが、事業の縮小により退職し、その後神戸市内の某倉庫会社に勤めていたものであり、尾崎は、債務者会社から解雇された後大平工業株式会社の社長をしていたことがあり、現在も会社役員であつて、その妻は、婦人民主クラブ神戸支部長の地位にあり、また、その長女は、日本大学医学部、長男は、静岡大学工学部に各在学中である。したがつて、同債権者等が今にして無職と称し生活困難であると主張するのをそのまま受け取ることはできない。もし真に窮乏の状態にあるというのであれば、それは、能力のある者が故意に働かぬことを自ら表明するものであつて、かような者について本件仮処分の必要性があるとは、到底認められないのである。

その余の債権者等についても、その生活現況に関する債権者等代理人の主張をそのまま信ずることはできない。債務者会社において若干の債権者等について調査した結果は、別紙(一〇)記載のとおりであるが、なお調査を尽くすと、その余の債権者等についてもその主張の虚偽乃至誇張が判明するであろう。

〔五二〕   (3) かりに、本件賃金仮処分の必要性があるとしても、労働基準法第二六条の趣旨からして、その限度は、解雇当時の平均賃金額の六割の範囲内において認められるにすぎないというべきである(神戸地方裁判所昭和三一年七月二〇日言渡判決参照)。

〔五三〕  (四) なお、債権者等中本件整理後他に就職し、再び解雇された者については、債務者会社を相手方として賃金仮払仮処分を求めるのは筋違いである。例えば、債権者16庭田一雄は、債務者会社から解雇された後他に就職していたところ、昭和三一年一月再び解雇になつたというのであるから、かりに同債権者が生活に苦しんでいるとしても、それは、第二の就職先に対して申請する仮処分事件において主張すべき事項に属し、五年以上前の本件解雇との間では因果関係が中断しているものといわなければならない。

〔五四〕  (五) 最後に、本申請において債権者等が求めている賃金仮払仮処分は、法律上許容されるところの仮処分の限界を逸脱するものである。

元来仮処分命令は、本案訴訟の完結に至るまでの一時的暫定的措置にすぎないから、あくまでも仮定的状態の形成に終始すべきものであり、本案確定判決の内容が実現されたのと全く同一の結果を招来し、債権者に終局的満足を与えることは、仮処分制度の目的を逸脱し、その本質に反するといわなければならない。最高裁判所は、仮処分判決に対して上訴が提起されたときは、仮処分の内容が、権利保全の範囲にとどまらずその終局的満足を得しめ、若くはその執行により債務者に対し回復することのできない損害を生ぜしめる虞のある場合には、その執行の停止を求めることができる旨を二回にわたつて判示し、仮処分の行き過ぎを是正した(昭和二三年三月三日決定・民集第二巻六五頁以下登載、昭和二五年九月二五日決定・民集第四巻四三五頁以下登載)。しかるに、賃金の仮払を命ずる仮処分命令は、即時に執行力が与えられるのであるから、債権者たる労働者は、これによつて直ちに賃金を獲得し、結局本案訴訟において勝訴の判決を得たのと全く同様に完全な権利の満足が与えられるものであり、しかも、一旦労働者が賃金を受領し、これを費消して了うと、後日債務者が本案訴訟で勝訴し、乃至はさきの仮処分命令が取り消されても、もはや一度支払つた金員を取り戻すことは、事実上不可能であるといわなければならない。それ故、かかる仮処分は、明らかに法律上仮処分の限界を超えるものであつて、絶対に許容さるべきではないと確信する。

第四疎明関係

〔五五〕・〔五六〕 〈省略〉

理由

〔五七〕 一 債権者六九名が、いずれもかつて債務者会社に雇傭されている従業員であつたこと、債務者会社は、昭和二五年一〇月一四日附書面(以下「本件整理通告書」という。)をもつて右債権者全員を含む一〇五名の従業員に対し、同月一九日までに任意退職を申し出ることを勧告すると共に、右勧告に応じなければ同月二〇日附をもつて解雇処分に附する旨の意思表示(この意思表示の性質については後に説明する〔六一〕。)をしたことは、当事者に争のないところである〔九、一八〕。

〔五八〕 二 本件の争点は、頗る多岐にわたるのであるが、その大部分は、本件整理通告がその目的とする効果を収め得たかどうか、換言すれば、債権者等がこの通告を受けた結果債務者会社の従業員たる地位を喪失したかどうかに関係している。しかるにこの点に関して、さきに債権者等(原告等)、債務者(被告)間の当庁昭和二七年(ワ)第九二八号、昭和二八年(ワ)第八六三号、昭和二九年(ワ)第三五八号各解雇無効確認請求事件において、昭和三〇年一二月二六日、右通告に基く解雇が無効であることを確認したところの債権者等勝訴の第一審判決が言い渡されたことは、当事者間に争がない〔三、一四、一六〕。そして、債権者1遠藤忠剛の代理人池田義秋は、この判決が存在する限り、本仮処分申請事件にあつては、同判決で確認された右解雇の無効を当然の前提としてその余の争点につき審理、判断すべきであつて、反対にこの解雇が有効であると判断することは許されないと主張するのである〔一四〕。しかし、債務者において右判決を不服として大阪高等裁判所に控訴し、事件がなお同裁判所に係属中であることも、当事者間に争のないところである〔三、一四、一六〕から、同判決は、未確定であり、その確認した内容につき既判力を生じていないものといわなければならない。したがつて、右代理人の主張は、少くとも法律上の理論としては理由のないものであり、本件の審理に当る当裁判所は、右判決に何等拘束されることなく、事実の認定並びに法律上の判断をなし得るものである。もつとも債権者等にしてみれば、未確定であるとはいえともかく一応勝訴の判決を得ており、しかもその判決書は、本件においても疎甲第一号証(その成立は、当事者間に争がない。)として提出されているのであるから、この判決で確認された解雇の無効性については既に疎明が尽くされたものとして、本仮処分申請事件において実質的に審理の対象となるのは、その余の争点、特に仮処分の必要性の有無に限るべきであるとの考えをとることも、常識的には一応了解できないものではない。しかしながら、右判決は、これをよく検討してみると、その事実認定において漠然とした部分が散見するのみならず、法律的判断においてもにわかに賛同し難い点があるので、当裁判所は、同判決で認められた解雇の無効性について、この判決の存在自体に充分の疎明価値を認めてこれをそのまま容認することができないのである。そうした意味から、当裁判所は、前示解雇無効確認訴訟において既に争点となつていた事項についても、当事者双方のあらたな主張と証拠の提出を許容し、審理を進めたものであり、その結果到達したところの判断は、以下に説示するとおりである。

〔五九〕 三 債権者六九名が今なお債務者会社の従業員たる地位を保有しているかどうかを考えるためには、右両者間の雇傭契約が合意解除されたのか、債務者会社の一方的意思表示(単独行為)によつて解除されたのかをまず認定することが必要である。

しかるに、右の問題に関しては、債権者等全員について一同に考えることはできない。すなわち、債権者等中1遠藤忠剛、2尾崎辰之助、46橋本広彦、58市田謙一及び61赤田義久の五名は、本件整理通告書を受け取りながら、そこに掲げられた債務者会社の任意退職の勧告に応ぜず、退職願を提出していないのであるが、その余の債権者六四名については、ともかくも右任意退職の勧告に応じて各本人名義の退職願が債務者会社に提出されていることは、当事者間に争がないのである〔八、一八〕。それ故、前示退職願を提出していない1遠藤以下五名の債権者等に関する限り、債務者会社との間の合意解除を云々する余地はなく、もつぱら本件整理通告書に基く単独行為たる解雇処分の効力を考えれば足りるであろうが、その余の債権者六四名と債務者会社との間の雇傭契約については、これらの債権者等名義の退職願が提出されたことにより、形式的にせよ一応合意解除が成立したと認める余地が確かにあるし、また、債務者代理人は、まさにそのように主張するのである〔一七、一八〕。しかるに、これに反し債権者等代理人は、これら六四名の債権者等も、退職願を提出していない他の被解雇者等と一様に昭和二五年一〇月一四日附本件整理通告書をもつて、一方的に解雇されたと見るべきであつて、右通告書受領後退職願を提出したとしても、これにより雇傭契約の合意解除が成立したと考えることはできないと主張して争つている〔九〕、よつて、以下右通告書の文面を明らかにし、これによつてなされた債務者会社の意思表示の性質を考えた上、右の争点に対する判断に及ぶこととする。

〔六〇〕  (一) 証人今井栄泰の第二回証言により真正に成立したと疎明される疎乙第一一号証によれば、問題の本件整理通告書には不動文字をもつて次のような文言が記載されていたことが一応認められる。

「通知書

会社と致しましては経済情勢の誠に深刻化して居ります今日、御本人は申すに及ばず御家族の御心情を御察し申上げますと誠に忍び難いものがあるのでありますが、今般止むを得ない都合により、組合へ申入れの趣旨の通り十月十四日附を以て貴殿の退職を願うの他ないことになりました。

就きましては、来る十月十九日迄に会社に御届出の上、円満退職せられるよう御勤め致します。

従つて、右期日迄に退職の御申出のあつた場合は依願解職の取扱いを致しますが、御申出のない場合には十月二十日附を以て本通告書を解雇辞令にかえ、解職することに致しますから御承知下さい。

尚、退職金及び予告手当等の支払いにつきましては左記により致します。

追而、会社は当工場が賠償指定工場であり、且、軍関係工場を有する特殊性に鑑み秩序維持のため、貴殿に対し十月十五日以降、当社の事業場其の他諸施設に立入ることを禁止致しますから併せて通告致します。

一、支払金

1、退職金(退職金規定による。)

2、予告手当金三十五日分(労働基準法第二十条の規定による。尚本手当金は依願退職する場合にも支給する。)

3、十月十四日迄の給料残額

4、十月十六日より同月二十日迄の会社都合による休業賃金(賃金規則による。但し十月十九日迄に退職願を届出た場合も支給する。)

5、餞別金(但し十月十九日迄に退職願の届出のない者に対しては支給しない。)

イ、三年未満 一万円

ロ、五年未満 一万五千円

ハ、十年未満 二万円

ニ、十年以上 二万五千円

尚税金等に関しては右支払金額中より控除されますから念の為申し添えます。

二、支払期間

昭和二十五年十月二十日より同月二十五日迄の六日間、毎日午前九時より午後三時迄

三、支払場所

神戸市生田区東川崎町二丁目

川崎重工業株式会社正門前特設退職金支払所

四、右支払期間に止むを得ず、貴殿の来社出来ない場合は、貴殿自筆による別紙様式の委任状を持参の代理人に御支払いします。

尚、退職金の郵送を希望される方は、別紙様式の辞職願の「備考欄」に郵送希望と記入して下さい。右願書到着と同時に折返し御送金します。

五、右支払期間中に受領されない場合は供託に附しますから、予め御承知下さい。

六、退職金等の受取りの場合は次のものを御持参下さい。御持参のない場合は御支払いすることが出来ません。

1、本人受取りの場合

本状、印鑑、身分証、徽章、健康保険被保険者証

2、代理人受取りの場合

右の外に本人自筆の委任状及び代理人の印鑑

七、退職願の届出は川崎重工業株式会社、正門前特設退職願受付所で受付ます。

尚、郵送せられる場合の宛先は、神戸市生田区東川崎町二丁目、川崎重工業株式会社人事部人事課長とし、「退職願在中」と封筒に表記せられたい。

八、工場内の私品整理の為、入場を希望する場合は左により許可します。

十月二十三日 造船工作部

十月二十四日 造機工作部

十月二十五日 電機部

十月二十六日 修繕部

十月二十七日 其の他

入場は午前十時又は午後二時より各三十分間の何れか一回限りとし、保安課員の指示誘導に従われたい。若し違反した場合は直ちに工場内より退去を命じます。

以上

昭和二十五年十月十四日

川崎重工業株式会社

社長手塚敏雄

殿」

(二) それでは、債務者会社が債権者六九名を含む一〇五名の従業員に対しこの通告書をもつてなした意思表示の法律的性質をどのように解すべきであろうか。債権者等代理人は、右意思表示が一方的解雇処分以外の何物でもなく、その後退職願が提出されても雇傭契約の合意解除の成立を認める余地がないと主張するのである〔九〕。そして、右通告書の一部分のみを捉えて読めば、或はそのように解釈されるかもしれないけれども、右通告書の全体を熟読してその真に意図するところを率直、かつ合理的に把握するならば、必ずしも同代理人主張のような結論は出て来ないのである。すなわち、債務者会社は、右通告書によつて前記従業員に一〇五名全員に対し、昭和二五年一〇月二〇日を効力発生の始期とする期限附解雇の意思表示(単独行為)をなすと同時に、任意退職(退職願提出)を勧告するという形において、承諾の期間(退職願の提出期限)を同月一九日までと定めて雇傭契約の合意解除(双方行為)の申込(単なる申込の誘引ではない。)を行つたものと認めるのが相当である。してみると、この通告書を受け取つた従業員中に右指定期限までに退職願を提出した者があれば、当該従業員と債務者会社との間の雇傭契約については、一応合意解除が成立したものと解すべきであり、この合意解除に格別の無効事由が存しない限り、これによつて同月一九日以前に雇傭契約関係の消滅を来たしたものといわねばならず、したがつて、もはや債務者会社のなした同月二〇日を始期限とする解雇の意思表示は、その効力を生ずる余地がなくなつたものと解されるし、また、債務者会社としても、当初からかような任意退職者をも一方的解雇処分という形で雇傭関係を終了させようという意思を有してはいなかつたと認めるのが合理的であろう。

〔六二〕  (三) そうすると次に、債権者六九名中1遠藤忠剛、2尾崎辰之助、46橋本広彦、58市田謙一及び61赤田義久を除く六四名がそれぞれ退職願を提出した年月日を明らかにしなければならない。

〔六三〕   (1) 債権者62大西恵が昭和二五年一〇月一九日、債権者47庁泰介が同月二〇日、債権者5沖合善一が同月二一日、債権者19梅野浩司が同月二二日、債権者3富坂二郎、同4松尾幸雄、同9小林時則、同12池崎種松、同14上野山光三、同21守谷米松、同29水口保、同30平田平、同31吉田登、同32岡山昭、同34長谷川正道、同35松本昇、同43松尾美恵子、同53川崎孝雄、同64奥田昭六、同65三種松一、同67川崎和靖及び同69貴田楢蔵が同月二三日、それぞれ退職願を提出したものであることは当事者間に争がない。(以上二二名)

〔六四〕   (2) 次に、成立につき争のない疎乙第三号証によれば、その余の債権者四二名中17川崎豊を除く四一名の退職願提出年月日は、債権者33河上清春のそれが債務者代理人の主張によると昭和二五年一〇月二三日とあるのを同月二二日、債権者37上山喬一のそれが債務者代理人の主張によると同月二二日とあるのを同月二三日と訂正する外、すべて同代理人主張(別紙(五))のとおりであることが疎明され、これを覆すに足る証拠はない。

〔六五〕   (3) 最後に、債権者17川崎豊の退職願提出年月日については、債権者等代理人は、昭和二五年一〇月二二日、債務者代理人は、同月二三日と主張しており、そのどちらに副う疎明資料もないが、その喰い違いは一日だけであるから、一応同月二二日又は二三日のいずれかであると推認する外はあるまい。

〔六六〕 以上(1)乃至(3)に述べたところをまとめると、債権者六九名中1遠藤、2尾崎、46橋本、58市田及び61赤田を除く六四名の各退職願提出年月日は次のとおりである。

昭和二五年一〇月一七日

44露本忠一 (以上一名)

同月一八日

55井手溢雄 63北川実 (以上二名)

同月一九日

24佐藤満 49伊藤道治 62大西恵 68元矢清作 (以上四名)

同月二〇日

22西村忠 47庁泰介 (以上二名)

同月二一日

5沖谷善一 13平松一生 (以上二名)

同月二二日

19梅野浩司 33河上清春 36長谷川義雄 (以上三名)

同月二二日又は二三日

17川崎豊 (以上一名)

同月二三日

3富坂二郎 4松尾幸雄 6国本利男 7青野日出夫 8笠原禎吉 9小林時則 10角谷一雄 11篠原正一 12池崎種松 14上野山光三 15松尾正男 16庭田一雄 18矢田正男 20塚本武夫 21守谷米松 23久保春雄 25小山竹二 26中村義八郎 27本清甚助 28石川利次 29水口保 30平田平 31吉田登 32岡山昭 34長谷川正道 35松本昇 37上山喬一 38村上寿一 40石田好春 41小黒栄一 42神岡三男 43松尾美恵子 45窪園賢一 48浅田義美 51竹田初代 53川崎孝雄 54尾野昇 55麻生守信 56長尾彰平 57中西多喜夫 59高橋敏雄 60森田武司 64奥田昭六 65三種松一 66船橋政雄 67川崎和靖 69貴田楢蔵 (以上四七名)

同月二五日

52北井武男 (以上一名)

同年一一月一五日

39石野市太郎 (以上一名)

〔六七〕  (四) してみると、右債権者六四名中本件整理通告書記載の提出期限たる昭和二五年一〇月一九日までに退職願を提出した24佐藤満、44露本忠一、49伊藤道治、50井手溢雄、62大西恵、63北川実及び68元矢清作の七名と債務者会社との間の雇傭契約は、各退職願提出の都度それぞれ合意解除されたものといわなければならない。

〔六八〕  (五) ところで、成立につき争のない疎甲第一一号証の一、二、疎乙第一八号証の二乃至四、証人今井栄泰の第二回証言、並びに、同証言により真正に成立したと疎明される疎乙第七号証によれば、債権者六九名を含む一〇五名の従業員が債務者会社から本件整理通告書を受け取るに及び、労働組合は、早速この問題をめぐつて債務者会社との間に団体交渉を試み、昭和二五年一〇月一八日の交渉の席上、右通告書に示された退職願提出期限が同月一九日までというのは短かすぎて被通告者が任意退職すべきか否かを考慮するための時間的余裕が乏しいとして、右提出期間の延長方を申し入れたところ、債務者会社もこれを諒とし、翌一九日人事部長名をもつて、「解雇の日附は十月二十日とし変更しない。但し事務の取扱いとして十月二十三日迄(同日附消印あるものを含む)に退職願を提出した者は勧告期間(十月十九日迄)中に願出た者と同様餞別金を支給する。」と記載した公示書を社の内外に提示し、かつ、右公示書記載のとおりの取扱をしたことが一応認められる。したがつて、本件整理通告書を受け取りながら同月一九日までに退職願を提出しなかつた従業員については、一旦同日の経過と共に債務者会社から解雇処分に付されたことになる点は否めないけれども、その後同月二三日(同日附郵便官署の消印がある郵送の分を含む。)までに退職願を提出した従業員と債務者会社との間では、同月一九日まで効力を遡及させるところの雇傭契約の合意解除――かかる遡及的効果を伴う合意解除も、第三者の権利を害しない限り当事者間において有効に成立し得ることはもちろんである。――が成立したことになり、右合意解除に格別の無効事由が存しない限り、これに伴いさきになされた同月二〇日を始期限とする単独行為たる解雇の意思表示が、既往に遡つて効力を生じないで終つたものと一応解するのが相当である。

かようにして債務者会社との間に雇傭契約の合意解除が成立した債権者等は、3富坂二郎、4松尾幸雄、5沖合善一、6国本利男、7青野日出夫、8笠原禎吉、9小林時則、10角谷一雄、11篠原正一、12池崎種松、13平松一生、14上野山光三、15松尾正男、16庭田一雄、17川崎豊、18矢田正男、19梅野浩司、20塚本武夫、21守谷米松、22西村忠、23久保春雄、25小山竹二、26中村義八郎、27本清甚助、28石川利次、29水口保、30平田平、31吉田登、32岡山昭、33河上清春、34長谷川正道、35松本昇、36長谷川義雄、37上山喬一、38村上寿一、40石田好春、41小黒栄一、42神岡三男、43松尾美恵子、45窪園賢一、47庁泰介、48浅田義美、51竹田初代、53川崎孝雄、54尾野昇、55麻生守信、56長尾彰平、57中西多喜夫、59高橋敏雄、60森田武司、64奥田昭六、65三種松一、66船橋政雄、67川崎和靖及び69貴田楢蔵の五五名である。

〔六九〕  (六) 最後に、昭和二五年一〇月二三日を過ぎてから退職願を提出した債権者39石野市太郎及び同52北井武男の両名はどうであろうか。同債権者等も、一旦同月一九日の経過と共に債務者会社から一方的に解雇されたことになる点は、前記債権者3富坂二郎以下五五名と同様である。しかし、右債権者39石野及び同52北井の両名も他の退職願提出者等と同様債務者会社から本件整理通告書掲記の退職金や餞別金を受領していることは、当事者間に争のないところである〔八、一八〕から、債務者会社は、右債権者両名の退職願提出が期限後のものであることを不問に付してこれを受理し、その他同債権者等を同月二三日までの退職願提出者等と全く同様に所遇したものと一応推認することができる。してみると、右債権者両名と債務者会社との間の雇傭契約についても、同月一九日まで効力を遡及させる趣旨の合意解除が成立したものと一応解するのが相当であろう。

〔七〇〕  (七) 以上(一)乃至(六)において説明したところを要約すると、本件債権者中1遠藤忠剛、2尾崎辰之助、46橋本広彦、58市田謙一及び61赤田義久を除いた残り六四名にかかる退職願が真正であり、その提出が本人の意思に基くものである以上(債権者等代理人は、債権者八名についてその退職願の作成、提出が無権代理人の手になるものであると主張している〔一〇〕が、右主張が理由のないものであることは後述のとおりである〔七一〕。)、右債権者六四名と債務者会社との間の雇傭契約については、すべて昭和二五年一〇月一九日以前に合意解除(双方行為)が現実に成立したか、同年月日まで効力を遡及させる趣旨の合意解除の成立を見たといわなければならない。したがつて、右債権者六四名が今なお債務者会社の従業員たる地位を有するかどうかを判定するためには、同債権者等と債務者会社との間に成立した前示雇傭契約の合意解除が有効か無効かを考えるのが先決問題なのであつて、右合意解除が無効であるという結論に達したときにはじめて、単独行為たる解雇処分の効力の有無を判断すれば足りるものと解するのが相当である。

〔七一〕 四 しかるところ、債権者等代理人は、債権者36長谷川義雄、同49伊藤道治、同50井手溢雄、同53川崎孝雄、同54尾野昇、同55麻生守信、同56長尾彰平及び同57中西多喜夫の八名については、家族や知人などが勝手に代理人と称し、本人の知らぬ間に退職願を提出したのであるから、かかる無権代理人等の行為が本人に対してその効力を生ずるいわれはないと主張するのである〔一〇〕。しかし、成立につき争のない疎乙第一九号証の一乃至四、同第五二号証、証人中田俊一の第二回証言により真正に成立したと疎明される同第五七号証の一、二によれば、右八名中50井手溢雄、53川崎孝雄、54尾野昇、56長尾彰平及び57中西多喜夫の五名に関する限り、その退職願が債務者会社に提出された当時刑事事件で拘禁されていたため、自ら退職の手続をしたものでないことが一応認められるのであるが、その余の36長谷川義雄、49伊藤道治及び55麻生守信の三名については、右無権代理の主張に副う何等の疎明も存しないのみならず、49伊藤道治に至つては、その退職願が自筆のものであることすら、方式及び趣旨により真正に成立したと一応認められる疎乙第五八号証から疎明されるのである。しかも、前述のとおり自ら退職手続をしていない50井手溢雄以下五名の債権者等にしても、各本人名義で何者かが退職金、餞別金等を債務者会社から受領している事実は、債権者等代理人も認めるところであるし、前掲疎乙第一一号証によれば、代理人がこれらの金員を受け取るためには、本件整理通告書、本人の印鑑、身分証、従業員徽章及び健康保険被保険者証の外、本人自筆の委任状と代理人の印鑑を債務者会社に提出乃至提示することが必要であつた事実が疎明されるのであるから、これらの債権者等の意思に基かないで各本人名義の退職願が提出されたものとは到底考えることができない。殊に疎乙第一九号証の一乃至四は、それぞれ債権者56長尾彰平、同50井手溢雄、同54尾野昇及び同53川崎孝雄の作成名義にかかる各退職手続及び退職金受領等の委任状であることがその記載自体から明瞭であるし、債権者等代理人も、これらの書証の成立をすべて認めているのである。かような次第で、前記八名の債権者等にかかる無権代理の主張は、到底これを採用するに由がない。

〔七二〕 五 更に、債権者等代理人は、債権者六九名中1遠藤忠剛、2尾崎辰之助、46橋本広彦、58市田謙一及び61赤田義久を除く六四名が債務者会社に退職願を提出したのは心裡留保により無効であると主張する。すなわち、これら六四名の債権者等は、債務者会社から受けた任意退職の勧告が極めて理不尽なものと考えたけれども、さしあたり自己乃至家族の生活を維持するのに欠くことができない退職金や餞別金を受け取る必要上、やむなく退職願を提出したものであつて、任意退職の真意を毛頭有していたわけではなく、債務者会社にあつても、これらの退職願を受理した当時、その提出が右債権者六四名の真意に基くものでないことを知つていたか、または当然知ることができた筈だというのである〔一一〕。しかるに、債務者代理人は、右主張を全面的に争つている〔二〇―二五〕ので、以下この点に対する当裁判所の見解を明らかにする。

〔七三〕  (一) 前記退職願を提出した六四名の債権者等は、債務者会社との間に雇傭契約の合意解除を行つたものであつて一応は一方的解雇処分に付されたものと解すべきでないことは前述した〔六〇―七〇〕しかしながら、本件整理通告書の文面にあらわれたところを見ると、債務者会社は、要するに一〇五名の従業員を一齊に企業から整理、追放しようと企てたものであつて、その形式を整えるため一応これらの従業員達に対し一定期限までに退職願を提出するよう勧告し、右勧告に応じない者は、これを解雇する旨の意思を表示したのであり、他方右通告書を受け取つた従業員達の側からいうと、退職願を提出するにせよ、提出しないにせよ、数日後には債務者会社から従業員として取り扱われなくなるという宣告を受けたわけであるから、ひつきよう債務者会社から一方的に解雇されたかのように考え、退職願を提出することの意味に思い至らなかつたものもないではないと推認され得る。したがつて、右債権者六四名が退職願を提出した当時、何故自分が債務者会社から整理、追放されねばならないのかという合理的理由を納得していたかどうかは、右退職願の提出がその真意に基くものかどうかを判定するについて、無視することができない事情であるといわなければならない。

しかるところ、債務者会社が前示従業員一〇五名に対し本件の整理通告をなすに当つて、事前に全く被通告者や労働組合にはからなかつたことは当事者間に争がなく〔九、一八〕、また、本件整理通告書には被通告者個人別の解雇事由が掲げられてはいなかつたし、その他これを被整理者各自に知らせるために債務者会社において格別の手段も講じていなかつたのみならず、右整理通告の二日後にあたる昭和二五年一〇月一六日の団体交渉の席上にあつても、労働組合側から解雇の具体的事由について質問があつたにもかかわらず、会社側の出席者達が言を左右にして確答を与えなかつたことは、後記認定のとおりである〔八八〕。ただし、債務者会社が本件債権者等を含む一〇五名の従業員を対象として企てた一齊人員整理が、昭和二五年の夏から秋にかけて、報道機関、電気産業、鉄鋼、石炭、造船その他の全国各種重要産業と目される企業体や一部官公庁が、次々と日本共産党員乃至その同調者と認めた者をその職場から追放したところの、いわゆるレッド・パージの系列に属するものであることは、後述のとおりであり〔八五〕、このことは、当時債務者会社において明言はしなかつたけれども、諸般の情勢から被整理通告者一〇五名のすべてが容易にこれを察知し得たことは、成立につき争のない疎甲第一四及び第一八号証、証人今井栄泰の第二回証言により真正に成立したと疎明される疎乙第二九号証、並びに、当時レッド・パージが全国において盛に行われていたという公知の事実からして、一応これを推認するに難くない。しかしながら、報道機関のレッド・パージはともかくとして、その他の重要産業に属する企業体や官公庁が断行したレッド・パージが法律上当然に正当視される根拠を見出し難いことは、後述のとおりであるし〔八五〕、また、占領治下の当時にあつてすら、共産主義者ならずとも心ある者は、レッド・パージの合法性についてひそかに疑念を抱いていたことは当裁判所に顕著である。

以上の観点からのみ考察すれば、債務者会社から本件整理通告書を受け取つた一〇五名の従業員は、実際に日本共産党員又はその同調者であつた者とそうでなかつた者とにかかわらず、いずれも自己が整理の対象になつたことに多かれ少かれ不満の念を抱いたものであつて、債務者会社の勧告に応じて退職願を提出した債権者六四名も、若干の退職金や餞別金を支給されたとはいえ、決してその例外ではなかつたと一応認めなければならない。

〔七四〕  (二) しかしながら、右に述べたところだけからして前記債権者六四名の退職願の提出がすべて真意に基かぬものと即断することはできない。すなわち、同債権者等は、退職願を提出しなくても解雇処分に付されることが必定であつて、その場合には任意退職者の特典である餞別金の支給を受けられぬ旨債務者会社から通告を受けていたことは、前述のとおりであるし〔六〇〕、更に、前掲疎甲第一四号証、証人今井栄泰の第二回証言により真正に成立したと疎明される疎乙第八号証の一、二によれば、本件整理通告書が債権者等の許に届けられた当初整理反対闘争のため立ち上つた労働組合も、その後数日を経た昭和二五年一〇月二〇日に至るや、組合員全体投票の結果、圧倒的多数をもつて、「一、今回の特別整理は世に云う『赤色追放』と考える。二、この赤色追放は極めて高度な政治的或は思想的背景を有するもので、労働組合が、その機関において本質を論じ闘うことは現在の客観的情勢より判断して困難と考えられる。」という理由に基き整理を承認する執行部案を採択し、翌二一日、債務者会社に対して右整理承認の旨を通告し、闘争を放棄したことが認められる。それ故、右債権者六四名中には、前記のような客観情勢の判断と利害得失を考量した上債務者会社の勧告どおり任意退職して退職金や餞別金を貰い受ける方が賢明であると考え、その途を選んだ者も少くないと認めるのが真相を捉えていると考えるのであるが、はたしてそのとおりとすれば、たとえこれらの者が内心不満であつたとしても、やはり真意に基いて退職願を提出したものと一応認定して妨げないであろう。

〔七五〕  (三) それでは、前記債権者六四名中その退職願提出が真意に基く者とそうでない者とをどうして選別すべきであろうか。それは、極めて困難なことであるが、本件の弁論にあらわれた資料だけから判断しなければならないとすれば、左に述べる仮処分申請の事実に足掛りを求める以外に方法はない。

すなわち、前掲疎甲第一八号証によれば、債権者1遠藤忠剛は、本件整理通告書を受けた従業員中七二名の選定当事者となり、昭和二五年一〇月二〇日債務者会社を相手方として当庁に仮処分命令の申請に及び(同年(ヨ)第四五二号事件)、本件のレッド・パージが違法であり、右選定者七二名がすべてなお債務者会社の従業員たる地位を保有すると主張し、「(1)債務者が昭和二五年一〇月一四日附をもつて右選定者七二名に対してなした解雇の意思表示の効力は、かりにこれを停止する。(2)債務者は、右七二名に対し就業の機会を与えなければならない。(3)債務者は、右七二名が債務者会社の川崎造船工場内にある全日本造船労働組合川崎造船分会の事務所に出入することを妨げてはならない。(4)債務者は、右七二名のうち現に債務者設営の寮又は社宅に居住している者が、従前どおり右寮又は社宅に居住し、かつ、その設備を利用することを妨げてはならない。」という趣旨の裁判を求めたこと、右選定者七二名中には、本件整理通告書を受け取つて債務者会社に退職願を提出した債権者等中3富坂二郎、4松尾幸雄、5沖合善一、6国本利男、7青野日出夫、8笠原禎吉、9小林時則、10角谷一雄、11篠原正一、12池崎種松、13平松一生、14上野山光三、15松尾正男、16庭田一雄、17川崎豊、18矢田正男、19梅野浩司、20塚本武夫、21守谷米松、22西村忠、23久保春雄、24佐藤満、25小山竹二、26中村義八郎、27本清甚助、28石川利次、29水口保、30平田平、31吉田登、32岡山昭、33河上清春、34長谷川正道、35松本昇、36長谷川義雄、37上山喬一、38村上寿一、39石野市太郎、40石田好春、41小黒栄一、59高橋敏雄、60森田武司、64奥田昭六、65三種松一、66船橋政雄、67川崎和靖及び78元矢清作の四六名も含まれていることが一応認められる。そして、当裁判所は、右四六名中退職願提出の年月日が仮処分申請のそれに近接している者とそうでない者とを分類し、更に、退職願を提出しながら右仮処分申請に関与していない債権者一八名を別のグループとし、これら三つのグループにつきそれぞれ一括してその心裡留保の主張の当否を論ずるのが便宜であると考える。

〔七六〕  (四) そこで、まず退職願を提出しながら前記の仮処分申請に関与していない債権者等、すなわち、42神岡三男、43松尾美恵子、44露本忠一、45窪園賢一、47庁泰介、48浅田義美、49伊藤道治、50井手溢雄、51竹田初代、52北井武男、53川崎孝雄、54尾野昇、55麻生守信、56長尾彰平、57中西多喜夫、62大西恵、63北川実及び69貴田楢蔵の一八名であるが、右債権者等は、やはり前示(二)〔七四〕で述べたとおりの理由で、内心不満ながらも客観情勢の判断と利害得失の考量からして、債務者会社の勧告どおり任意退職して退職金や餞別金を貰い受けるに若くはないと考え、その途を選んだものであり、したがつて、その退職願の提出は、やはり真意に基くものであつたと一応認めるのが相当である。成立につき争のない疎甲第一七号証の一、二によれば、本件の整理の対象になつた従業員等中の一部の者は、職業安定所から失業保険金を受領する際、安定所の係員に対し整理には不服であると特に念を押したことが疎明されるけれども、その中に右債権者一八名も含まれていることの証拠はない。また、前掲疎乙第五二号証によれば、右債権者一八名中50井手溢雄、53川崎孝雄、54尾野昇、56長尾彰平及び57中西多喜夫の五名は、本件整理通告書を受けてから間もない昭和二五年一〇月一九日午前八時一五分頃、右整理を不服として大阪府泉南郡所在債務者会社岡田浦電機工場の門扉、囲塀を乗り越え、同工場構内に侵入したことが疎明されるのであるが、彼等が何を目的としてかような行動を敢てし、その際債務者会社に対しいかなる意思を表示したのかについては、全く証拠を欠いているから、右五名に限り特にその退職願の提出が真意に基かぬものと認定することも困難である。

かりに前記債権者一八名にかかる退職願の提出がその真意に基くものでなかつたとしても、債務者会社がこれを受理した当時かような事情を知つていたか、当然知り得た筈であるということは、後述〔七八〕のとおり本件の弁論にあらわれた資料からこれを認めることはできない。

〔七七〕  (五) 最も問題となるのは、退職願を提出しながら前記仮処分申請に関与した債権者等中、その退職願提出の年月日が右仮処分申請のなされた昭和二五年一〇月二〇日の前後数日以内にすぎなかつた者、すなわち、3富坂二郎、4松尾幸雄、5沖合善一、6国本利男、7青野日出夫、8笠原禎吉、9小林時則、10角谷一雄、11篠原正一、12池崎種松、13平松一生、14上野山光三、15松尾正男、16庭田一雄、17川崎豊、18矢田正男、19梅野浩司、20塚本武夫、21守谷米松、22西村忠、23久保春雄、24佐藤満、25小山竹二、26中村義八郎、27本清甚助、28石川利次、29水口保、30平田平、31吉田登、32岡山昭、33河上清春、34長谷川正道、35松本昇、36長谷川義雄、37上山喬一、38村上寿一、40石田好春、41小黒栄一、59高橋敏雄、60森田武司、64奥田昭六、65三種松一、66船橋政雄、67川崎和靖及び68元矢清作の四五名についてである。

右債権者等も、昭和二五年一〇月二〇日までの賃金、労働基準法第二〇条に基く予告手当金、退職金の外、任意退職者の特典たる餞別金をも債務者会社から受け取つたことは、当事者間に争のないところであり〔八、二一〕また、その際同債権者等が債務者会社に対して特に異議を留めた事実については、何等主張、疎明がない。更に、右債権者等中の大多数は、労働組合の本件一齊人員整理承認という彼等の意思決定に重大な要因となり得る事態が昭和二五年一〇月二〇日に発生した〔七四〕直後において、その退職願を提出したものである〔六六〕。そうしたことから、債務者代理人は、前記仮処分申請に関与した債権者等も、すべてその真意に基いて退職願を提出したに相違ないと主張するのである〔二一、二三〕。

しかし、前記仮処分申請に関与した債権者等は、少くとも本件整理通告のあつた昭和二五年一〇月一四日から右申請がなされた同月二〇日までの間において、同申請のため債権者1遠藤忠剛を当事者に選定した当時、すべて自己がなお債務者会社の従業員たる地位を保有する旨の主張を貫いて争訟する意図を抱いていたことは明らかであり、その時と前後数日を隔てぬ退職願提出の時との間において特段の事情が発生したのでもない限り、にわかに心境の変化を来たしたものとは到底考えられない。労働組合が同月二〇日本件人員整理の承認を決したこと、その直後多くの債権者等が退職願を提出したことは、前述のとおりであるが、これらの事情も、それだけでは右にいう特段の事情には該当しないであろう。それに、右債権者等も退職願提出後しばらく前記仮処分申請を維持していたことは、当事者間に争がないのである〔一一、二三〕から、こうした事情をも考慮にいれると、やはり右仮処分申請に関与し、かつ、その申請と比較的日を接して退職願を提出したところの前掲債権者四五名は、各自退職願の提出により外観上債務者会社との雇傭契約を解消する意思を表示したけれども、それは、退職金を受領し、また、会社が任意退職者と認定した者だけに与える餞別金等の特典に浴するため、やむを得ずとつた手段でしかなかつたわけであつて、すべてその真意に基かぬものであつたと一応認めないわけにはゆかないであろう。それが詐欺的行為として道徳上非難に価するものであるかどうかは、おのずから別の問題に属する事項である。

〔七八〕  (六) よつて、以下前記債権者四五名の退職願提出が真意に基くものでなかつたことを、債務者会社においてこれを受理した当時知つていたか、又は知り得べき筈であつたかどうかについて判断を進めなければならないわけであるが、これを本件の弁論に上程された資料だけから考えねばならないとすれば、それは、結局右債権者等にかかる仮処分申請の事実を債務者会社が当該債権者の退職願を受理した当時知つていたか、又は知り得べき状態にあつたかどうかの問題に帰着するといえるであろう。右の点に関し、債権者等代理人は、およそ本件整理通告書を受けた従業員等にかかる退職願の提出がその真意に基かぬことは、債務者会社において右従業員等中の一部の者が仮処分を申請した事実を知らなくても、当然わかる筈の自明の事柄であつたと主張するもののようである〔一一〕が、右仮処分申請をしなかつた従業員等が将来の情勢判断と利害得失の考量からして任意退職の途を選んだのは真意であると解すべきことは、前に判示した〔七四〕とおりであるし、債務者会社においても特に右と異なる考え方をしていたとは思えないから、前示債権者等代理人の見解にはにわかに賛成することができない。

〔七九〕  (七) かように考えると、前記仮処分申請に関与した債権者等中にあつても、右申請がなされた昭和二五年一〇月二〇日の前日である同月一九日に退職願を提出した24佐藤満及び68元矢清作の両名〔六六〕については、その退職願の提出が真意に基くものでなかつたことは、債務者会社がこれを受理した際知るところでなかつたし、また、知り得べくもなかつたと一応いわなければならない。

〔八〇〕  (八) しかるに、その余の債権者四三名は、いずれも右仮処分申請のなされた当日から昭和二五年一〇月二三日までの間にかけて退職願を提出している、すなわち、同月二〇日には22西村忠、同月二一日には5沖合善一及び13平松一生、同月二二日には19梅野浩司、33河上清春及び36長谷川義雄、同月二二日か二三日かは明らかでないがそのいずれかの日に17川崎豊、同月二三日には3富坂二郎、4松尾幸雄、6国本利男、7青野日出夫、8笠原禎吉、9小林時則、10角谷一雄、11篠原正一、12池崎種松、14上野山光三、15松尾正男、16庭田一雄、18矢田正男、20塚本武夫、21守谷米松、23久保春雄、25小山竹二、26中村義八郎、27本清甚助、28石川利次、29水口保、30平田平、31吉田登、32岡山昭、34長谷川正道、35松本昇、37上山喬一、38村上寿一、40石田好春、41小黒栄一、59高橋敏雄、60森田武司、64奥田昭六、65三種松一、66船橋政雄及び67川崎和靖が、それぞれ退職願を提出し、外観上任意退職の意思を表示しているのである。

しかるところ、前掲疎甲第一八号証は、昭和二五年一〇月二〇日(暦によれば、同日は金曜日であつた。)当庁に受理された前掲仮処分事件の申請書に外ならないが、その表紙の右下の部分には、本件においても債務者会社の訴訟代理人になつている弁護士山田作之助の捺印を検認することができる。そして、訴訟実務の慣習からいうと、当事者が裁判所に提出する書類のかような位置に捺印があれば、その上に「副本領収」その他これに類似する文言が記載されていない場合でも、右捺印は、相手方当事者又はその代理人が当該書類の副本を民事訴訟法所定の正式の送達手続によらないで受け取つたことを認めた趣旨のものと解されるのである。次に、成立につき争のない疎甲第一二号証の一は、その記載自体に照らし右仮処分申請事件にかかる債務者会社の答弁書であることが明らかであるが、これによると、前記山田弁護士は、債務者会社の代理人として同月二六日(木曜日)附をもつて右答弁書を作成し、同日当庁に提出受理されたことが認められる。以上の事実を綜合すると、債務者会社は何等かの事情をもつて同月二六日以前に右仮処分申請の事実を知り、山田弁護士が同事件について債務者会社の代理人に選任され、やはり同日以前に右仮処分申請書の副本を領収するに及び、その申請当事者遠藤忠剛を選定したところの七二名の被整理通告者の氏名を確知することができたものと、一応推認すべきである。

しかるに、債務者会社が、昭和二五年一〇月二〇日から同月二六日までのどの時期においていかなる経路により右仮処分申請事件関係の事実を知り得たのかは、同月二〇日から同月二三日までに退職願を提出した前記債権者四三名の心裡留保の主張の成否を決するについて、極めて重要な事情というべきであり、当裁判所も、この点に関する当事者双方、殊に債権者等側の立証を期待していたのであるが、遂に具体的な疎明資料の提出を見ないまま、口頭弁論を終結せざるを得なかつた次第である。したがつて、右の点に関する当裁判所の判断は、いきおい推測の域を出ないのであるが、一応右疎甲第一二号証の一の答弁書が比較的短文で内容も簡単なものであり、さしてその作成のために事実調査並びに法律問題の検討を要したとは思えないことからして、債務者会社が右仮処分申請の事実、並びに、その申請当事者を選任した七二名中に前記債権者四三名が含まれていることを確知したのは、右答弁書作成日の二日前である昭和二五年一〇月二四日(火曜日)又はそれ以後であると推認する外ない次第である。

してみると、債務者会社が右債権者四三名から退職願を受け取つた際には、未だ同債権者が前記仮処分申請を通じて自己がなお債務者会社の従業員たる地位を保有している旨主張している事実を知らなかつたものとみられるわけであるから、その退職願の提出がその真意に基かぬものであつたこともわからなかつたし、またわかる筈もなかつたといわなければならない。

〔八一〕  (九) 最後に、前記仮処分申請には関与したが、その申請後一箇月近くも経た昭和二五年一一月一五日に至つて退職願を提出した〔六六〕債権者39石野市太郎はどうであろうか。同債権者も、同年一〇月一四日から同月二〇日までの間において右仮処分申請のため申請当事者を選定した当時、自己がなお債務者会社の従業員たる地位を保有する旨の主張を貫いて争訟する意図を抱いていたものといわなければならない。しかし、その後久しきにわたつて右仮処分申請が認容されないままになつていた事実は、弁論の全趣旨から推認されるし、また、債務者会社としては同債権者から退職願を受理した際は、既に右仮処分申請の事実を充分に知つていた関係上、他の従業員等の場合より一層慎重にその真意を確めた上これが処理をなしたと推認すべきであるから、同債権者が退職願を提出した当時にあつては既に心境の変化を来たし、むしろ右仮処分申請に関与しなかつた債権者等と同様〔七六〕、将来の情勢判断と利害得失の考量からして、真実に任意退職の途を選ぶ意思であつたと一応認めるのが相当であろう。

かりに同債権者が真意に基かないで退職願を提出したとしても、右提出に当つて、また、おそらくはこれと引換であつたと考えられる退職金、餞別金等の受領に当つて、債務者会社に対し何等かの異議を留めておいたということの主張、疎明はないのであるから、債務者会社が同債権者から退職願を受け取つた際には、同債権者が既に心境の変化を来たし、真実に任意退職する意思になつたものと諒解していたであろうし、また、そのように諒解するのも無理からぬところであつたといわなければならない。

〔八二〕  (一〇) 以上(一)乃至(九)において説明したとおり、本件債権者六九名中1遠藤忠剛、2尾崎辰之助、46橋本広彦、58市田謙一及び61赤田義久を除く六四名について相互間の事情は必ずしも一様ではないが、その退職願提出によつて債務者会社との間に雇傭契約の解除を合意したことが、心裡留保により無効であるという債権者等代理人の主張は、結局理由のないものといわざるを得ないのである。

〔八三〕 六 よつて、以下債権者六九名中退職願を提出していない1遠藤忠剛、2尾崎辰之助、46橋本広彦、58市田謙一及び61赤田義久の五名に対して債務者会社の行つた解雇処分(単独行為)が、有効か無効かについて考察すべきであるが、この点に関する判断を右債権者等個人別に示すにさきだち、右解雇処分の効力に関する一般論に触れるところの若干の問題について、当裁判所の見解を明らかにしておくことにする。

〔八四〕  (一) 債権者等代理人は、右解雇処分が日本国憲法第一四条、労働基準法第三条に違反しており〔五〕、就業規則上の根拠を欠くものであり〔六〕、不当労働行為である〔七〕と主張しているのであつて、債務者代理人は、もちろんこれに対し逐一反駁を加えてはいる〔三三、四〇、四一〕けれども、その主張の重点は、むしろ右解雇当時における債務者会社内外の客観情勢、並びに、これに基くいわゆるレッド・パージの合法性に関する一般論に置かれていると思われるふしがある。すなわち、同代理人は、昭和二四、五年頃日本共産党が全国において暴力活動に狂奔したため、占領軍当局が同党員及びその同調者を報道機関その他の重要産業から排除することを示し、債務者会社にあつても、左翼分子の破壊活動には目に余るものがあつたのみならず、占領軍管理工場であるという特殊事情もあつたので、同党員乃至その同調者たる本件債権者等の整理を断行したわけであつて、その措置は適法であるというのである〔二七―三二〕。

しかし、当裁判所は、右論旨の根本にはたやすく受け容れることのできない非合理的な要素が含まれていると考えるものであつて、左にその理由を述べる。

〔八五〕  (二) 連合国最高司令官の内閣総理大臣吉田茂あて昭和二五年七月一八日附、アカハタ及びその後継紙並びに同類紙の無期限発行停止に関する書簡を契機として、同年の夏から秋にかけて、報道機関を皮切りに、電気産業、鉄鋼、石炭、造船その他の全国各種重要産業と目される企業体や一部官公庁が、次々と日本共産党員及びその同調者をその職場から追放したことは、公知の事実であり、この一連の追放措置が、通常レッド・パージと呼ばれるところのものである。そして債務者会社がわが国屈指の大造船工場設備を有する会社であることは、一般によく知られているところであり、同会社が本件債権者等を含むその従業員一〇五名に対して行つた一齊整理が、もつぱら日本共産党員乃至その同調者と認められた者を対象としてなされたものであつて、やはり右レッド・パージの系列に属することは、当事者間に争がない〔五、二七〕。しかし、日本共産党は、当時にあつても合法政党としてその存在を公認されていたし、日本国憲法第一四条は、すべて国民が法の下に平等であることを宣言し、その精神を受けて労働基準法第三条も、使用者が労働者の信条を理由として解雇を含む労働条件について差別的取扱をすることを禁止しているのであるから、当時全国の各企業や一部官公庁が、単に同党員又はその同調者であることだけの理由をもつてその従業員を解雇したとすれば、これらの国内法規の見地だけからしてこれを是認することができない。もつとも、占領治下にあつては、日本の法令は、連合国最高司令官の発する命令指示に牴触する限りにおいてその適用を排除されていたところ、その指示の一つと考えられる前示昭和二五年七月一八日附連合国最高司令官の書簡には、報道機関から共産主義者又はその支持者を排除すべきことを要請した趣旨が、不明瞭な形ではあるがあらわれていたことから、当時報道機関の行つたレッド・パージが超憲法的に有効であることは、最高裁判所の判例とするところである(昭和二七年四月二日大法廷決定・民集第六巻第四号三八七頁以下登載)。しかし、右の書簡をもつて日本の国家機関並びに国民に対し報道機関以外の職場からも共産主義者又はその同調者を排除すべきことを要請し、これを遵守すべきことを義務付ける法規範が設定されたものとは到底読みとることはできないし、その他当時報道機関以外の重要産業に属する企業や官公庁が断行したところのレッド・パージが、超憲法的に正当視される根拠は何もない(最高裁判所昭和三〇年一一月二二日第三小法廷判決・民集第九巻第一二号一、七九三頁以下登載参照)。

〔八六〕  (三) もつとも、連合国最高司令官が内閣総理大臣にあてて発したところの前記書簡、並びに、これに先行する昭和二五年六月六日附日本共産党中央委員の追放に関する書簡、同月七日附アカハタ編集者の追放に関する書簡、同月二六日附アカハタの三〇日間発行停止に関する書簡を通読すると、当時同司令官は、日本共産党やその党員達が暴力的、破壊的傾向を有する好ましくない存在であるという趣旨を、徐々に明瞭に主張、表明していることが認められる。そして、このことから債務者代理人は、これらの書簡に掲げられた事実判断が占領治下のわが国にあつては権威を有していたものであつて、個々の共産党員についても反証のない限り右の判断が妥当すると主張するのである〔三〇〕。しかしながら、これらの書簡中の連合国最高司令官の主観的な事実判断の表示とみられる前示記載内容が、占領治下のわが国においてもそれ自体拘束力を有していたとは到底考えられないし、また、その記載内容が格別立証を要しない公知の事実とみることのできないものであることはいうまでもない。もつとも、債務者代理人は、日本共産党及びその下部組織たる川崎造船細胞が昭和二四、五年当時暴力的、企業破壊的団体であつたことを疎明するため、厖大な資料を提出しているのであつて、なるほどこれらの証拠中証人今井栄泰の第二回証言によつて真正に成立したと疎明される疎乙第二〇号証の七の一、同号証の九、同第三三号証の四、九などを見ると、日本共産党の組織機関がその頃発行した文書中には、暴力的破壊活動の正当性を主張し、かつその実行を煽動するような記載内容のものがあり、また、同党川崎造船細胞も当時債務者会社にあつてまま不必要に過激な言辞を用い実力行使を伴う争議を煽動したことも一応認められるのである。しかしそれにしても、同代理人が主張するように、当時同党細胞員又はその同調者であつた従業員は、反証のない限り企業から排除することが是認される暴力主義者、破壊主義者であると推認することは、甚だしく形式的であつて、かような考え方には、にわかに賛成することができない。

〔八七〕  (四) 要するに、債務者会社が債権者1遠藤忠剛、同2尾崎辰之助、同46橋本広彦、同58市田謙一及び同61赤田義久を解雇したことが正当視されるかどうかは、同債権者等が日本共産党員又はその同調者であつたかなかつたかを一応考慮の外において、個人別に債務者代理人が主張するような事実が存在するかどうかを明らかにした上、判断すべき事柄であるといわなければならない。

〔八八〕  (五) 次に、債務者代理人は、およそ使用者が労働者を解雇するのは、それが解雇権の濫用にならぬ限り自由であると主張する〔三三〕が、成立につき争のない疎乙第五号証によれば、債務者会社には昭和二三年五月一日施行の就業規則があり、その第七七条第一項において従業員を解雇し得べき場合を制限的に列挙していることが認められるから、それ以外の事由によつて従業員を解雇することは許されないものと解するのが相当である。もつとも、債務者代理人は、債務者会社が債権者等を整理したのは、就業規則第七七条第一項第二号、第五号に基くものであるとも主張しているのである〔三三〕が、はたして当時そのように意識してレッド・パージを断行したのであろうか、債権者等代理人も指摘しているように〔六〕、かなり問題である。

前掲疎乙第一一号証、疎甲第一一号証の一、二、同第一四号証、並びに、成立につき争のない疎甲第一一号証の三によれば、本件整理通告書には、本件の弁論において債務者代理人が援用している右就業規則の条項も、それに該当すると思われる被通告者個人別の具体的事由も掲げられていなかつたし、その他これらの事項を被整理者各自に知らせるために債務者会社において格別の手段も講じていなかつたのはもちろん、右整理通告の二日後にあたる昭和二五年一〇月一六日に開かれた団体交渉の席上においても、労働組合側から解雇の具体的事由について質問があつたにもかかわらず、会社側の出席者等は、言を左右にして明確な回答を与えなかつたことが疎明されるのである。こういうことでは、債務者会社が債権者等に対して臨んだ追放措置には、その実施の形式及び方法において相手方を納得させるための努力をなしたというわけにはゆかず、したがつて、信義則上かなり遺憾な点があつたことは否めない。そればかりでなく、前掲疎甲第一号証、同第一二号証の一及び成立につき争のない疎甲第一二号証の二、疎乙第一号証、証人中田俊一の第一回証言により真正に成立したものと疎明される同第五三号証、並びに、弁論の全趣旨を綜合すれば、債務者会社は、債権者等を解雇した当時にあつては、その解雇処分の有効性を主張するためには、連合国の占領政策に便乗して赤色従業員の危険性を強調しておけば足り、あえて就業規則にその根拠を求める必要はないと考えていたけれども、その後争訟に持ち込まれるに及び、従前の考え方だけでは債権者等の解雇無効論に対抗するのに不充分であるとして、前記就業規則の条項を具体的に援用するようになつたものと一応推認されるのである。かような次第で、債務者代理人が本件の弁論において、債権者等を解雇したことが就業規則第七七条第一項第二号、第五号に基くものであると主張していることに対し、債権者等が甚だ快からず考えているとしても、それは無理からぬところといえるであろう。

しかしながら、使用者が労働者を解雇するについては、その具体的事由を告げるのは望ましいことではあるが、必ずそうしなければならないと解すべき法律上の根拠はないし、また、債務者会社の就業規則の内容は前掲疎乙第五号証により明らかであるが、同規則においても特に右の趣旨の告知義務を会社に負わせてはいないのである。そればかりでなく、前示本件整理通告書の文面〔六〇〕によると、債務者会社は、債権者六九名を含む従業員一〇五名に対し、甚だ不明確な形においてであるが、就業規則第七七条第一項第二号又は第五号に基いて整理を行うものである趣旨を告げているものとも解し得ないのではない。また、前掲疎乙第二九号証、並びに、証人今井栄泰の第二回証言によると、債務者会社は、右人員整理に際し、整理の対象とならなかつた従業員全員にあて、社長手塚敏雄名義の「従業員諸君に告ぐ」と題する書面を配布し、右整理の理由に触れると共に会社に協力方を要請していることが認められるのであるが、同書面からも、本件の人員整理が就業規則第七七条第一項第二号又は第五号に基くものである趣旨を読みとれないわけではない。そして、同書面が当時何等かの経路を辿つて被整理通告者の何人かの眼に触れたであろうことも、容易に推認し得るところである。

してみれば、債務者会社が、債権者等を解雇した後その解雇処分の効力が争訟の目的になつてから始めて具体的に就業規則第七七条第一項第二号、第五号を云々していること自体が、法律上許されぬものと断じ去ることはできないであろう。

〔八九〕  (六) しかしそれにしても、債務者代理人の援用する就業規則第七七条第一項第二号、第五号の文言は、甚だ曖昧であるといわなければならない。すなわち、前掲疎乙第五号証によれば、右第二号の解雇事由というのは「やむを得ない業務上の都合」であり、第五号のそれは「その他第一号(精神若しくは身体に故障があるか又は虚弱老衰若しくは疾病のため業務に堪えないと認めた場合)及び第二号に準ずるやむを得ない事由がある場合」であつて、それ以上のことは、何も就業規則に記載されていないことが明らかである。そこで、かような頗る漠然とした文言を用いている就業規則の条項の意味を捕捉し、これを正確に説明することは、甚だ困難であるといわねばならず、結局個々の具体的な場合について適用の可否を考察するの外はないであろう。ただその際注意しなければならないのは、およそ就業規則をもつて解雇事由を限定している趣旨が労働者の保護を主眼としていることを認識し、右就業規則の条項をみだりに広義に解して不当解雇を助長するような結果にならぬよう、厳につつしまなければならないことである。もちろん就業規則は、労働協約や労働契約とは違つて使用者が一方的に作成するものであるけれども、一旦出来上つた以上使用者も労働者と平等の立場でこれを遵守し、誠実にその義務を履行しなければならないのである(労働基準法第二条第二項)から、その個々の条項の解釈も、使用者側の単なる都合によつて左右されてはならないものというべきである。しかも、前示疎乙第五号証によれば、債務者会社の就業規則第七七条第一項が債務者代理人の援用している第二号、第五号と併立的に掲げている解雇事由は、従業員が、「精神若しくは身体に故障があるか又は虚弱老衰若しくは疾病のため業務に堪えないと認めた場合」(第一号)、「第七十四条の規定(内容省略)によつて懲戒解雇に処せられた場合」(第三号)、並びに、「悪質な犯罪行為により禁錮以上の刑に処せられた場合」(第四号)の三つであることが疎明されるから、右第二号、第五号に該当する解雇事由も、他の各号の解雇事由と同じ程度に重大なものでなければならないと解すべきである。してみると、特定の解雇処分が右第二号又は第五号によつて正当であると認めることができる場合は、おのずから甚だ限られるものといわなければならないことになる。

〔九〇〕  (七) それでは、債権者1遠藤忠剛、同2尾崎辰之助、同46橋本広彦、同58市田謙一及び同61赤田義久の五名について、債務者代理人が別紙(八)において主張しているような個人的解雇事由が存在するかどうかは、後に項を改めて論ずることとし〔九一―一三一〕、それ以外に、債務者会社が右債権者等を解雇した昭和二五年一〇月当時において、右解雇処分の正当性を根拠付ける特段の事情が、債務者会社自体の内部に存在していたであろうか。

債務者会社が戦後非常な経営困難に陥り、一部工場閉鎖のやむなきに至つたこともある事実は、債務者代理人の主張するところであり〔二八〕、右主張に副う疎明もなくはないけれども、本件の解雇処分が企業縮小又は企業合理化のための人員整理たる意味を有していたということは、同代理人も主張していないのである。

もつとも、成立に争のない疎乙第一八号証の一、前掲同第一八号証の二、証人今井栄泰の第二回証言によつて真正に成立したものと一応認められる疎乙第一二号証の一乃至四、同第三〇号証の一の一乃至五、同号証の一の七、同第三六号証の一、二によれば、債務者会社の艦船工場は、昭和二一年八月以降賠償指定施設として米軍の管理下に置かれ、米車から派遣されたハンダートマークが同工場内に常駐し、債務者会社の経営にしばしば干渉し、殊に、同工場内における従業員の怠業と共産党細胞員の活動を嫌悪して、会社並びに従業員に対し再三警告を発していた事実が疎明されるから、それが組合活動並びに共産党に対する干渉として行き過ぎであつたかどうかはしばらくおき、債務者会社としては、常に心理的圧迫感から解放されず、米軍当局の意向に反しないようかなり神経を配つていたものと一応推認され、また、それはそれとして当時としてはある程度無理からぬ事情であつたといわなければならない。しかし、それは、やはり前記1遠藤以下五名の債権者等について債務者代理人の主張するような解雇事由がある程度存在している場合を前提として、これに対する解雇処分の正当性を若干補強する事情としての意味をもつにすぎないのである。

〔九一〕 七 よつて、以下債務者代理人が主張しているところの債権者1遠藤忠剛、同2尾崎辰之助、同46橋本広彦、同58市田謙一及び同61赤田義久にかかる各個人別解雇事由〔三六(別紙(八)引用)、三七〕について逐一検討を加え、右債権者五名に対する解雇処分が就業規則上の根拠を求めることができるかどうかを考えることとする。

〔九二〕  (一) 債権者1遠藤忠剛について、

証人今井栄泰の第二回証言によつて真正に成立したものと疎明される疎乙第三九号証の二の二、証人玉木政利の証言、並びに、同債権者本人尋問の結果によると、同債権者は、昭和三年東京帝国大学法学部政治学科卒業の経歴を有しているが、その後商工省に勤めたり、貿易業に従事したりしていたため、債務者会社に入社したのは昭和一八年九月五日であり、本件の解雇処分を受けるまでに、文書掛主任、勤労課統計掛主任、電気部事務掛長、総務部附、艦船工場附等を歴任していたことが一応認められる。

債務者代理人が同債権者にかかる個人的解雇事由として主張しているところの要旨は、同債権者は、債務者会社の幹部職員として、会社の経営方針を担当業務に具現すべき責務を有するのはもちろん、従業員等を監督、指導すべき立場にありながら、社命を無視し、自己の職責を全うせず、あまつさえ会社を誹謗し、従業員を煽動し、生産秩序、経営秩序の攪乱を図り、会社の運営を阻害し、ひいては会社の存立をも危殆に陥れようとする活動に専念したというにある。なお、これに関連する事情として債務者代理人は、同債権者が兵庫県下における最有力共産党員であり、また、同党川崎造船細胞の育ての親、最高指導者であつて、同細胞の破壊的活動は、すべて同債権者を主軸として行われたと主張している。そして、成立につき争のない疎乙第一四号証の一、前掲疎乙第三九号証の二の二、証人今井栄泰の第一回証言、並びに、同債権者本人尋問の結果を綜合すると、同債権者は、既に昭和七年日本共産党に入党という長い経歴を有する共産主義者であつて、もちろん共産党川崎造船細胞の構成員でもあり、その学識と経歴からして同細胞においても指導的地位にあつて、かなりの発言力を有していたことが一応認められる。しかし、同債権者が共産主義者であり、川崎造船細胞員であつたという事実関係だけを捉えて解雇事由とすべきでないことは、前述のとおりであり〔八五―八七〕、また、同債権者が右細胞の指導的地位にあつたといつても、同細胞員の債務者会社における行動がどの程度相互の有機的連絡の下に行われていたのかは判然としないし、まして、彼等の一挙手一投足がすべて同債権者を主軸として行われたという疎明は存在しないのであるから、かりに同細胞員の中に多少行き過ぎの破壊的行為に出たものがあるとしても、具体的に同債権者がその破壊的行為に参劃し、又はこれを教唆若しくは煽動したという証拠がない以上、当然には同債権者にその責を問うことができないのである。

よつて、以下同債権者に対する解雇事由を構成するものとして債務者代理人が列挙するところの具体的事実について、順次検討を加えることとする。

〔九三〕   (1) まず、債務者代理人の主張及び疎明方法の提出は、同債権者の戦時中における勤務態度が悪かつたという点に向けられている。すなわち、同代理人の申請にかかる証人玉木政利及び同中田俊一(第二回)の各証言をそのまま受け容れると、同債権者は、昭和二〇年三月頃から同年一〇月頃まで統計掛主任の職にあり、約三、四〇名の部下を擁していたが、担当業務に対する熱意を欠き、部下から相談を受けてもろくに指導してやるわけでなく、勤務時間中ロシアの芸術論といつたような勤務に無関係の本を読みふけつていたこともあるし、殊に故なくして無届欠勤連続二〇日以上に及んだことすらあるということになるのである。もつとも、この点に関し同債権者自身は、「当時自分は、勤務を怠つていたわけではない無届欠勤の点についていうと、仕事の無理がたたつて昭和二〇年四、五月頃急性気管支炎を患い、二〇日ばかり休んだことは事実であるし、また、自宅が同年六月及び七月の二度戦災を受けたので、その都度一週間から一〇日休んだこともあるが、いずれの場合にあつても欠勤届や必要な診断書の提出を怠つてはいない。また、戦時中勤務時間内に読書していたことも事実であるが、それは、職務に密接な関係のある数理統計学の本であつた。」と供述しているのであつて、いずれを真実として採用すべきか、容易に決しかねるのである。しかし、かりに同債権者の戦時中の勤務状態が多少悪かつたとしても、かような事情が、その後客観情勢の大きく転換した昭和二五年一〇月に行われた同債権者に対する解雇処分を裏付ける事由として、どの程度これを援用することが許されるかはそれ自体甚だ問題である。そればかりでなく、証人玉木政利の証言、並びに、同債権者本人尋問の結果によれば、債務者会社にあつては、昭和二〇年末大量人員整理を断行し、勤務成績の悪かつた者の多くは辞めさせられ、そうでない者も多数地位を格下げにされたのであるが、その際同債権者の地位は、全然変更しなかつた事実が疎明されるのであるから、同債権者のその時までの勤務成績は右人員整理の際に当然検討の上不問に付したと見るのが妥当であるし前掲玉木証人は、同債権者がこの時の整理から洩れたのは、有力者の紹介で入社したという事情が考慮されたためであると供述しているが、かりにそのようなことがあるとしても、ただそれだけでは、一旦不問に付したと見らるべき所為を何が故に再び解雇事由として採り上げたのか納得のゆく説明とはならない。同債権者としても、その後ともかくも数年間債務者会社に勤続しているのであるから、もはや戦時中の勤務成績までが後日の解雇の際に云々されることはあるまいという信頼を抱くに至つたと一応推認するのが相当であろう。そういつた意味において、同債権者に対する解雇事由として戦時中の勤務成績の点まで掲げることは、信義則上も許されぬものといわなければならない。

〔九四〕   (2) 更に、債務者代理人は、同債権者の戦後における勤務成績も不良であつたと主張しているのであるが、この点の例証として掲げている具体的事実について検討を加えるに先立ち、一応触れておかねばならない事情がある。すなわち、同債権者本人尋問の結果によると、同債権者は、昭和二〇年一〇月頃電機部事務掛長となつたが、昭和二一年一一月一日頃総務部附に転属となり、昭和二二年八月二五日頃までその職にあつたけれども、右総務部附当時全然担当業務といつたものはなく、したがつて、机や椅子すらも与えられず(証人中田俊一の第二回証言中右認定に反する部分は、信用することができない。)、債務者会社から全く白眼視されていたことが疎明されるのである。もつとも、事ここに至つたゆえんについて同債権者自身にも非難に値する点がなかつたかどうかは、もちろん検討を要する事柄であろう。そして、債務者代理人の主張にしたがえば、同債権者は、電機部事務掛長当時の勤務状態が悪かつたから、総務部附に左遷されたというのである。しかしながら、右代理人の主張に副う具体的事実の疎明は何もないのみならず、同債権者本人尋問の結果によれば、同債権者等が債務者会社から白眼視されて総務部附に配置転換されたのは、同債権者が日本共産党員であり、同党川崎造船細胞の有力分子であつたこと、労働組合の幹部として活躍したこと、同債権者の言動中には幾分債務者会社の施策に対し批判的なものが含まれていたこと、そうしたことから上司、殊に電機部長矢野正己との折合がうまくゆかなかつたことなどに由来するものと一応認められるのである。したがつて、少くとも本件の証拠上あらわれた事情だけからは、電機部事務掛長当時の同債権者の勤務ぶりを非難することはできないし、また、同債権者が全く担当業務を有せず、机や椅子も与えられていなかつた総務部附当時にあつても、特に他の従業員の業務を妨害したというのでもない限り、その勤務成績を云々することは少し酷に過ぎるといわなければならない。

〔九五〕   (3) 債務者代理人は、同債権者が昭和二一、二、三年当時アカハタ等共産党機関紙の会社内配布を一手に引き受け、その配布と代金徴収業務のためしばしば職場を放棄して省みなかつたと主張している。しかし、同債権者本人尋問の結果によれば、同債権者は、当時債務者会社の幹部級職員約三〇名に対するアカハタの配布を分担していたけれども、勤務時間中にその配布を行つたのは、同債権者が総務部附当時、すなわち前述のとおり担当業務のなかつた期間に限られることが一応認められるのであるから、この程度では未だ同債権者を非難するに価しないと考える。

〔九六〕   (4) 債務者代理人は、同債権者がしばしば勤務時間中職場を放棄し、従業員達に共産党入党を勧誘したとも主張しており、証人今井栄泰(第一回)及び同寺岡二郎の各証言によると、同債権者が会社内において職員達を対象に同党加入を勧誘していた事実は、一応これを認めることができる。しかし、そのため同債権者がしばしば勤務時間中職場を放棄した事実の疎明は不充分である。前記今井証人(第一回)は、「勤務時間中同債権者から入党の勧誘を受けて迷惑を感じたことがある。」と供述しているが、同債権者自身は、右事実を全く否定する供述を行つているのであつて、いずれが真実であるかは判然としない。かりに右証人の供述が真実であるとしても同様のことがどの程度の回数何名の従業員を対象として行われたのかは、全くわからないのであるから、そのため債務者会社の業務に実際上支障があつたと認めることはむつかしいとみる外ない。

〔九七〕   (5) 同債権者が、勤務時間中しばしば職務を放棄して、(イ)自席で他の過激分子と談合を行い職場規律を乱し、(ロ)また、共産党及び同川崎造船細胞発行にかかる文化関係機関紙、壁新聞、ビラ等の原稿作成に専念したという主張もあるが、右(イ)の事実の疎明は全くないし、(ロ)の事実については証人今井栄泰の第二回証言によつて真正に成立したと疎明される疎乙第三九号証の一、並びに、同債権者本人尋問の結果によれば、同債権者が債務者会社在勤当時自宅や社外の細胞事務所においてそのような原稿作成や印刷物の発行に従事したことは一応これを認めることができるけれども、そのため特に勤務時間中職務を放棄した事実の疎明はない。

〔九八〕   (6) 同債権者が、昭和二三年九月頃神戸市教育委員に立候補したことは、前掲疎乙第三九号証の二の二、並びに、同債権者本人尋問の結果により疎明されるけれども、そのため会社において勤務時間中職務を放棄して選挙運動を行つたという債務者代理人の主張事実についての証拠は何もない。むしろ同債権者本人尋問の結果によれば、同債権者は、右選挙運動のため債務者会社から承認を受けて欠勤し、もつぼら社外で活動していたことが一応認められるのである。

〔九九〕   (7) また、債務者代理人は、同債権者が無断私用外出及び遅刻をほしいままにしたとも主張しており、これを裏付ける証拠として、前掲玉木証人は、「同債権者は出勤の遅いのが有名であつて、午前八時が始業時刻であるのに、午前一〇時頃出勤して来たこともしばしばである。」と供述している。もつとも、同債権者自身の供述によれば、そのような事実はないというのであつて、いずれが真実であるかは必ずしも明瞭でない。しかし、玉木証人の右証言も、同債権者が全然担当業務を与えられていなかつた総務部所属当時現認した事実として述べたものにすぎないから、かりにこの供述に信をおくことができるとしても、当時しばしば同債権者が遅刻したことをさして非難するのは当らないであろう。そして、右以外の時期において同債権者が遅刻乃至無断私用外出を繰り返したという証拠は何もない。

〔一〇〇〕   (8) 同債権者は、事ある毎に会社の経営方針及び運営にことさら反対し、また、会社及び個々の従業員について作為的中傷、誹謗を行うなど、社の内外において過激な煽動に狂奔し、他の従業員等に著しい影響を与えたというのであるが、右主張事実に副う疎明は何もない。もつとも、同債権者本人尋問の結果によれば、同債権者は、在勤中債務者会社の素麪やパンの横流し不正事件などを摘発、指弾した事実が疎明されるのであるが、このことは、もとより同債権者を非難すべき事由に該当しない。

〔一〇一〕   (9) なお、債務者代理人は、昭和二一年六月電機部長の更迭があつた際、同債権者が従業員等の動揺に乗じて企業秩序の攪乱を企図し、電機部従業員約一、〇〇〇名を煽動して、就業時間中職場を放棄させ、午前一〇時三〇分から一時間余にわたりデモ行進を行い、電機部門の生産作業を著しく阻害したのみならず、綜合事務所で大声乱舞し、執務中の購買課、労務課、庶務課等の業務を停止させ、あまつさえ所長室の器物を損壊したと主張している。しかるところ、前掲疎甲第一四号証、並びに、同債権者本人尋問の結果によると、かねて部下から信奉されていた小倉電機部長が、突然同年六月二八日解雇されたことから、電機部の従業員約一、〇〇〇名が一丸となつて同部長解雇反対闘争を展開したこと、しかるに、右闘争は、闘争委員長である矢野正己(現取締役)が後任電機部長に任命されることによりあつけなく終結したものであることが一応認められる。しかし、右闘争が特に不法な目的をもつて行われたものとは思えないのみならず、その際債務者代理人の主張するような暴力沙汰があつたことを認めるに足る疎明はない。そして、当時同債権者は、電機部事務掛長であつたことから、右解雇反対闘争の際も記録掛委員をしていたことは、同債権者本人尋問の結果により一応認められるところであるが、同債権者が、特に右闘争に乗じて企業秩序の攪乱を企図したことが認められるような疎明も存しないのである。要するに、右闘争に関連する同債権者の行動について、格別これを非とする点は、認めることができない。

〔一〇二〕   (10) 最後に、債務者代理人は、昭和二三年八月、会社構内で川崎健康保険組合議員の選挙(選挙権者及び被選挙権者は、いずれも会社従業員)が行われた際、債権者67川崎和靖が共産党より立候補しその宣伝ビラに赤字で「日本共産党員として断乎闘争の事を誓う。保険金全額国庫負担!」なる字句を挿入していたが、米軍駐在員ハンダートマークの指示の趣旨に則り、会社が右字句を抹消したところ、同債権者は、債権者2尾崎辰之助と共に石原人事部長に面会を強要し、拒否されたにもかかわらず無断で入室し、「共産党候補者の掲示中朱書の文字を抹消したのは不都合である。結社の自由、言論の自由を侵害する選挙干渉であり、極東委員会の問題にする。」と大声をあげて同部長を難詰するなど、職場秩序を無視し、これを破壊しようとする行動に出たと主張しているのである。しかるに、疎乙第三六号証の三の存在自体、方式及び趣旨により真正に成立したものと疎明される疎乙第三七号証の一乃至三、並びに、債権者1遠藤及び同2尾崎各本人尋問の結果を綜合すれば、この間の真相は、昭和二三年八月、会社構内で債務者代理人主張のような選挙が施行された際、債権者67川崎和靖が立候補したところ、米軍駐在員ハンダートマーク乃至債務者会社において、共産党員たる右候補者の当選を好ましく思わなかつたことから、同候補者の挨拶文を記載したポスターの一節を抹消し、その非を指摘されると、既に掲示されていた全候補者のポスターを撤去し、結局川崎和靖候補者の挨拶文を抹殺するなど、選挙干渉を敢てしたので、同候補者の推薦人たる債権者1遠藤及び同2尾崎の両名が、何かと口実を設けてはその場を言い逃れようとする選挙長の石原健造を非難し、選挙が公正に行われるよう要請したものであることが一応認められ、右認定を覆すに足る証拠はない。したがつて、右債権者の行為は、その目的において正当であつたといわなければならないのみならず、その手段においても格別遺憾な点があつたことについてはこれを肯定するに足るような資料もない。前掲疎乙第三七号証の二には、右債権者両名が、石原に面会を強要し、アカハタの記者と入れ替りに入室して、債務者代理人の指摘するような文句を大声で述べた旨記載されているが、かりに右記載内容が真実であるとしても、この点を捉え、右債権者両名の行動をもつて直ちに非難すべきものであると断定することはむづかしい。要するに、この選挙の問題に関する債権者1遠藤及び同2尾崎の行動は、全く解雇事由として掲げるに適しないものといわなければならない。

〔一〇三〕 かように考えると、債権者1遠藤忠剛が債務者会社在勤期間を通じて善良な従業員であつたかどうかは、確かに多少問題ではある。しかし、債務者代理人が同債権者に対する解雇事由として指摘する個々の具体的事実について順次検討を加えた結果は、前述のとおりであつて、要するに、すべて解雇事由としては、援用する価値のないものであるか、或は同債権者に遺憾な点があるとしても、その情をさして重くみることができないものであるから、債務者会社が同債権者を解雇したことについて、就業規則第七七条第一項第二号又は第五号にいわゆる「やむを得ない」事由が存在していたと認めることには、些か躊躇せざるを得ないのである。

〔一〇四〕  (二) 債権者2尾崎辰之助について。

証人寺岡二郎の証言、並びに、同債権者本人尋問の結果によれば、同債権者は、東京帝国大学工学部卒業後昭和四年二月二七日債務者会社に入社し、以来勤続二〇年余に及んだものであるが、その間極めて優秀な造船技術者として重用され、その地位もおおむね順調に昇進し、本件の解雇処分を受けた当時は技術研究室次長の職にあつたことが一応認められる。

債務者代理人が同債権者にかかる個人的解雇事由として掲げているところの要旨は、同債権者は、債務者会社の上級職位にあつて、重要な業務にたずさわり、管理監督者としての立場にありながら、全く職責を顧みず、会社の方針に反対し、これを誹謗して、経営秩序を攪乱し、会社業務の運営を著しく阻害したというのである。なお同代理人は、同債権者も兵庫県下における最有力の共産党員であり、同党川崎造船細胞の最高指導者であつたと主張しているけれども、この点だけをとりあげて解雇事由とすべきでないことは、債権者1遠藤忠剛について述べたところ〔九二〕と同様である。すなわち、債権者2尾崎辰之助が共産党川崎造船細胞員であつたことは前掲疎乙第一四号証の一によつて疎明され、その経歴、地位からして同細胞において相当の発言力を有していたことは、一応推認されるけれども、同細胞における同債権者の地位についてそれ以上のことは判然としないから、かりに同細胞員の中に債務者会社内で破壊的行為を行つた者があるとしても、具体的に同債権者がこれを教唆又は煽動したという疎明がない以上、同債権者にその責を問うことはできない。

よつて、以下債務者代理人が具体的に指摘するところの同債権者の非行事実の存否について判断する。

〔一〇五〕   (1) まず、同債権者は、勤務時間中しばしば職務を放棄し、(イ)自席にあつて他の過激分子と談合を行い、(ロ)また、民主主義科学者協会神戸支部機関紙である「民科神戸ニュース」等の原稿の作成や整理に没頭したというのであるが、この点の疎明は格別存在しない。ただ、右(ロ)の点について、方式及び趣旨により真正に成立したと疎明される疎乙第三九号証の三の二、並びに、同債権者本人尋問の結果によると、同債権者は、昭和二三年八月頃民主主義科学者協会の神戸支部が設立された当初、同支部の中心人物としてその機関紙「民科神戸ニュース」の編集兼発行人をしていたことは、一応認められるが、同債権者自身は、債務者会社内で同機関紙関係の仕事をしたことはないと供述しているのであつて、右供述を覆すに足る証拠は何もない。

〔一〇六〕   (2) 同債権者は、しばしば無断私用外出並びに早退をほしいままにして、職場を放棄したというのであるが、これを認めるに足る証拠も存在しない。

〔一〇七〕   (3) 昭和二四年、占領軍艦艇の修理が会社の主要業務であつた当時、「特需生産、占領軍の艦艇修理等をやることは、戦争に協力することだ。」「占領軍の仕事をするな。」などと公言し、常に反占領軍的言動を行い、受註を妨げ、業務の運営或は生産を阻害したという点についても、肯定すべき証拠を欠いている。

〔一〇八〕   (4) 昭和二三年八月会社構内で行われた川崎健康保険組合議員の選挙の際、同債権者は、債権者1遠藤と共に、債務者会社が米軍派遣駐在員ハンダートマークの指示に従つてした措置を攻撃し、乱暴な所為に出て、職務秩序を攪乱したという主張についても、当裁判所が認定した事実関係は、債権者1遠藤に関する項において述べた〔一〇二〕とおりであつて、何も債権者2尾崎を非難すべき事情は認められない。

〔一〇九〕   (5) 最後に、債務者代理人は、昭和二四年五月一九日、共産党員を主軸とする不穏分子多数が公安条例制定反対暴力デモを神戸市役所、警察署前で行い、多数被検挙者を出したが、その中に三名の債務者会社従業員も含まれていたので、同債権者は、これら被検挙者の釈放運動の首謀者となり、同月二一日午後一時より従業員七一名を糾合し、これを引率して就業時間中市役所及び警察署にデモ行進を行い、集団職場離脱をさせたと主張する。そして、前掲疎甲第一四号証、並びに、証人寺岡二郎の証言(後記信用し難い箇所を除く。)によれば、右主張のような暴力デモとその際の被検挙者の釈放運動が行われたことは、一応認められるけれども、同債権者が右釈放運動の首謀者となり集団職場離脱をさせた事実の疎明はない。右寺岡証人の証言中同債権者も右釈放運動に加つたという部分は、同債権者本人尋問の結果と対照するとにわかに信用するわけにはゆかない。

〔一一〇〕 してみると、同債権者にかかる個人的解雇事由として債務者代理人の主張するところは、すべて根拠がないものといわなければならない。したがつて、同債権者に対する解雇処分を就業規則によつて理由付けることは、到底不可能と断ずるの外はない。

〔一一一〕  (三) 債権者46橋本広彦について。

前掲疎甲第一四号証、疎乙第五三号証、証人中田俊一の第二回証言により真正に成立したと疎明される疎乙第五九号証の二、並びに、証人寺岡二郎及び同戸田一雄の各証言を綜合すれば、同債権者は、昭和二一年秋頃債務者会社の神戸本社から東京支店に転勤し程なく債務者会社の労働組合(正式の呼称は、「全日本造船労働組合川崎造船分会」)からその上部組織たる全日本造船労働組合(略称「全造船」)に派遣された組合専従職員となり、当初はその争議調査部長、昭和二三年四月六日には全造船第六回大会で組織部長に選任された者であることが疎明される。

債務者代理人が同債権者にかかる個人的解雇事由として述べているところの要旨は、同債権者が共産党の細胞員であつたとする点は別にして(この点を特別に解雇事由とすべきでないことは前述した〔八五―八七〕。)、同債権者は、債務者会社の中堅職員でありながら、経営方針を全く無視し、真相を歪曲した宣伝を行い、会社並びに上長を中傷、誹謗し、従業員達を煽動して、彼等の間に反会社的意識を醸成することに暗躍し、これを非合法行為に導いたというのである。しかし、その具体的事例として掲げているところ、並びに、立証の範囲は、同債権者が組合の専従職員として行つた行為、それも主として労働争議の指導に関係したものに限られている。したがつて、同債権者に対する解雇処分が正当であるというためには慎重に事実関係を検討しなければならない。

〔一一二〕   (1) 証人寺岡二郎及び同戸田一雄の各証言によれば、同債権者は、昭和二一年秋全造船の専従職員となつてから、神戸本社には月一回位は、殊に労使間の紛争が生じた際には必ずといつてよい位来訪し、川崎造船分会員との連絡に当り、時としては、就業時間中作業現場に赴いたり、組合事務所に組合員を糾合して、階下の保安課の事務にも若干の支障を与えたこともあることが疎明される。そして、就業時間中作業現場に赴くことは、争議期間中でもない限り組合専従職員としても、つつしむべきであるが、そのためどの程度現場作業に支障をもたらしたかも判然としないし、また、就業時間中組合事務所に組合員を集めたといつても、その人数、回数の点は全くわからないのみならず、殊に、招集した組合員というのが組合専従職員であつたのかそうでなかつたのかも明らかでないのであるから、その結果階下の事務に多少の支障があつたことを考慮に入れても、さしてその情状を重くみるのは当らないであろう。

〔一一三〕   (2) 前掲疎甲第一四号証及び前記両証人の各証言を綜合すれば、債務者会社にあつては、昭和二四年春企業合理化のため、戦時中潜水艦建造の目的をもつて設立された泉州工場の閉鎖とこれに伴う同工場勤務多数従業員の解雇又は配置転換を企てたが、労働組合がこれに反対し、長期間にわたつて激烈な争議を行つたこと、同債権者は、同年六月上旬頃から右争議の終了した同年七月二〇日頃まで同工場にあつて、終始右争議の指導、推進に当り、その間団体交渉の席上会社とある程度妥協しようとした組合役員等を叱りつけたり、職場大会にあつて闘争的な演説をしたことも再三であること、同債権者の演説を聴いた従業員の中には、しばしば職場大会の余勢を駆つて就業時間中会社の事務所に押し寄せ、会社幹部を包囲して難題を吹きかけたり、扉やガラス窓を破壊した者も多数あり、同債権者もこれを目撃しながらあえてこれを阻止するための手段を講じなかつたことが一応認められる。しかしながら、労働組合が泉州工場の閉鎖とこれに伴う人員整理及び配置転換に反対して争議を行つたことがそもそも違法であるとは、本件の疎明資料からはにわかに断じ難いところであるから、組合専従職員たる同債権者が右争議を積極的に推進したこと自体を非難することは、もとより当らない。もつとも、この争議中に前述のような就業時間中の暴力沙汰が行われたことは、許されないことといわねばならないが、これとても、同債権者が直接加担し、又は積極的に教唆若しくは煽動したという証拠はないし、同債権者の職場大会における演説も、どの程度その原因となつていたかは問題である。ただし、労働争議の指導者たる者は、配下の労働者達が違法行為を敢行しようとする気配を察知し、又は違法行為をなしつつあるのを現認した場合、これを阻止するための努力を惜しんではならないのは当然であるから、同債権者において少くともこの点の義務違反があつたことは、否定し得ないであろう。

〔一一四〕   (3) なお、債務者代理人は、同債権者が、しばしば他の造船会社の過激分子と共謀の上、その従業員の反会社的非合法活動を指導したため、債務者会社が苦情を持ち込まれたこともあるし、その他、全造船の役員たる地位を利用して、組合活動の名にかくれた不法争議行為による企業破壊活動の画策、指揮、煽動や、共産党活動の展開に従事したと主張するが、この点にかかる具体的証拠はない。

〔一一五〕 これを要するに、同債権者の組合専従職員としての行動には遺憾な点が皆無であつたとはいえないけれども、その程度は、本件の証拠上あらわれている事実から見る限りさして重大であるとは思えない。したがつて、同債権者に対する解雇処分も、就業規則第七七条第一項第二号又は第五号によつて是認されるものとは到底解することができないのである。

〔一一六〕  (四) 債権者58市田謙一について。

証人武内信雄の証言によれば、同債権者は、昭和一四年京都帝国大学法学部卒業後程なく債務者会社に入社し、解雇当時は資材部購買課木材掛長の職にあり、順調に行けばなお相当の地位に昇進することが予想された幹部職員であつたことが疎明される。

しかるところ、債務者代理人は、同債権者が、従業員としての、また幹部職員としての意識に欠け、経営方針に従わず、故意に従業員を煽動し、経営秩序と業務の運営を阻害する活動に奔走したと主張し、六項目にわたる具体的事例を掲げているので、以下順次判断する。

〔一一七〕   (1) 同債権者は、勤務時間中しばしば自席において債権者1遠藤忠剛、同2尾崎辰之助等と談合したというのであるが、証人武内信雄及び同浜本誠一の各証言によると、なるほどそのようなことが時折あつた事実が疎明されるけれども、そのため特に自己の担当業務に支障を来たしたり、職場秩序を甚だしく攪乱したという点の疎明はない。

〔一一八〕   (2) 債権者市田が昭和二四、五年頃勤務時間中しばしば職場を放棄してアカハタを社内に配布し、また、部下の女子職員に勤務時間中その配布を行わせたという債務者代理人の主張事実も、右両証人の各証言により一応認められるが、そのためどの程度自己乃至部下職員の担当業務を犠牲に供したかは判然としない。

〔一一九〕   (3) 同債権者は、昭和二四年以降同二五年九月までの間、職場大会にあつて種々の煽動的発言を行うなど、事ある毎に非合法暴力的組合活動による会社業務の攪乱を画策し、企業の破壊工作を行つたという主張については、右両証人の各証言によると、同債権者が昭和二四年一〇月頃から同二五年六月頃までの間職場大会にあつて、「政治闘争こそが組合運動である。」「すべて闘争するに当つて、川重という企業の存在を多少でも意識するならば、その闘争は、闘わずして敗北したものである。」「ベース・アップをしないと、女は全部パンパンになる。」「人民政府か。しからずんば死か。」といつたような発言をした事実が疎明されるけれども、右発言が、何の論題をめぐつてどのような雰囲気の下でなされたものかはよくわからないから、他の従業員に対してどの程度の煽動的影響を与えたかも疑わしく、その他同債権者が特に企業破壊的工作を行つた事実の疎明はない。

〔一二〇〕   (4) 同債権者が、昭和二四年から同二五年九月までの間債務者会社の第二本山寮分館において、他の過激分子と共に寮管理者の許可を得ないでしばしば集会を開いたということが直ちに解雇事由を構成するとは理解しがたいが、いずれにせよ右主張事実にかかる疎明は何もない。

〔一二一〕   (5) 昭和二四年一一月、越年資金要求闘争に当り集団職場離脱があつたとき、同債権者が就業時間中席を立つて、窓から「がんばれ、がんばれ。」と大声でデモ隊に呼びかけた事実は、右両証人の各証言により一応認められるが、右職場離脱が違法な闘争であつたかどうかも問題であるし、かりにそれが違法であつたとしても、同債権者の右言動は、それ自体解雇事由としてとり立てて論ずるだけの価値があるとは、にわかに断定しがたい。

〔一二二〕   (6) 同債権者は、党活動に積極的に狂奔し始めた昭和二四年以降、孤独的となつて自己の職務を円滑に遂行せず、殊に、購買課の掛長として取引先と密接な交渉のある地位におりながら、過激な企業破壊的言動を行つたため、自然取引先の感情も悪化し、会社の業務を阻害する結果となつたというのであるが、同債権者が過激な企業破壊的活動に狂奔したという事実の疎明がないことは、前述のとおりであるし、前掲各証言によれば、同債権者が昭和二四年頃から孤独的性格になつたこと、同債権者の議論を耳に挾んだ取引先業者の中に、同債権者が共産党員のようだが、あれでは困るという趣旨の感想を洩らした者があることは、一応認められるけれども、同債権者が購買課の掛長の地位にあつたため、特に債務者会社の業務に支障を来たしたという事実の疎明はない。

〔一二三〕 以上要するに、同債権者の債務者会社における勤務情況や言動には、若干幹部職員にふさわしからぬ遺憾な点がなかつたとはいえないけれども、その程度は、極めて軽微であつたというべきである。したがつて、同債権者に対する解雇処分も、就業規則第七七条第一項第二号又は第五号によつて根拠付けることはむつかしい。

〔一二四〕  (五) 債権者61赤田義久について。

成立につき争のない疎乙第四四号証の一、証人今井栄泰の第一回証言、並びに、同債権者本人尋問の結果によると、同債権者は、大正一五年四月一二日生であつて、昭和二四年三月東京大学法学部卒業後、同年四月一日将来の幹部要員として債務者会社に入社し、最初一、二箇月の見習期間を経た後、総務部労働課調査掛所属となり、主として対労働組合関係の仕事を担当し、次いで、昭和二五年三月頃同課教育掛に配置転換され、程なく解雇処分を受けたものであることが一応認められる。

債務者代理人が同債権者の個人的解雇事由として主張するところをまとめると、幹部職員候補者たる同債権者が担当業務に対し批判的、かつ消極的で、その任務に忠実性を欠いたということと、常に経営方針を誹謗するなど、共産党川崎造船細胞の反会社的破壊活動に同調、協力し、他の幹部職員候補者や一般従業員に悪影響を及ぼしたということの二点に帰着するので、以下順次判断する。

〔一二五〕   (1) 債務者代理人は、同債権者が担当業務に批判的、かつ消極的であつたことの例証として、昭和二四年五、六月頃、泉州工場の閉鎖とこれに伴う同工場従業員の解雇乃至配置転換をめぐり労使間に激しい紛争状態が継続していた際、他の労働課所属員が不眠不休でこの問題に対処していたにもかかわらず、同債権者は、常に批判的言辞を弄し、上長の命に従わず、職務を果さなかつたことを指摘している。そして、前掲今井証人の第一回証言、並びに、同債権者本人尋問の結果によると、同債権者は、当時調査掛にあつて、右工場の閉鎖に反対する労働組合員達が各所でしばしば開いていた職場大会の現場に臨み、その実況の詳細を書面に記して債務者会社に報告することを命ぜられたのであるが、個人的にはむしろ会社の企図する同工場の閉鎖とこれに伴う人員整理などには反対の気持を抱いていたという事情もあつて、その作成、提出にかかる報告書は他の調査掛員のそれに比し割合に簡単であり、会社の知りたいと思つていた多くの事項について記載を欠いていたことが一応認められる。しかし、使用者が労働組合員の職場大会の模様を探索するについては、フエア・プレイの精神に照らし超えてはならぬ一定の限界というものが当然客観的に存在すると考えられるのであるが、各人の立場や考え方によつて主観的な限界線が右の客観的な限界線とずれが生ずることはやむを得ないところである。すなわち、使用者としては、この客観的限界線を超えても多くの事項につきできるだけ詳細な報告を要求乃至期待するであろうし、他方この仕事に従事する者の中には、ひたすら使用者の命令に忠実ならんとして全面的にその意図するとおりに協力しようとする者もあれば、このようなスパイ的な仕事を好まず、不本意ながらこれに従事する者もあることを想像するに難くない。それ故、このような仕事に打ち込めない性格を有する従業員がその正しいと考える限界内において自己の知り得た情報を上司に報告するとすれば、その内容は、いきおい簡単にならざるを得ないこともあろうから、かりにそれが使用者の意図するところに副わないとしても、当該従業員のみを非難するのは酷に失するであろう。そして、かような事情を考慮に入れてもなおかつ同債権者の報告が簡に過ぎ不誠実であると断ずるためには、前掲証人の証言の内容は、あまりにも漠然としているし、他に右の断定を可能ならしめるような証拠は何もない。なお、同債権者が上司から命ぜられて右工場閉鎖に伴う被整理者に対する解雇通知関係の仕事をしていた際、入社早々こんな仕事はいやだと同僚に口外したこともある事実は、同債権者自身も供述しているところであるが、かような同僚に対する私的発言を捉えて同債権者に対する解雇事由に数うべきでないことは、いうまでもないであろう。その他泉州工場の閉鎖問題に関し、同債権者が積極的に会社や上司に反対し、若しくは批判的言辞を弄し、又はその担当事務を怠つたことは、これを認め得るような資料はない。

〔一二六〕   (2) なお、債務者代理人は、同債権者が昭和二五年三月以降、勤務時間中しばしば組合事務所に赴き、中村隆三等と談合し、職場を放棄したと主張しており、証人今井栄泰の第一回証言、並びに、同債権者本人尋問の結果の各一部によると、同債権者は、労働課調査掛在勤当時中村隆三と机を並べていた関係上、同人が組合専従職員となつた後も交際を続け、そのため時に勤務時間中も職場を離れた事実もあることが疎明される。同債権者自身は、全く職場離脱をしていないと供述しているけれども、にわかに信用することができない。しかし、同債権者がどの程度しばしば職場を離脱し、そのため同債権者の担当事務に支障を来たしたり、他の従業員に悪影響を及ぼしたことが現実にあるかどうかは、甚だ疑問であり、この点に関する今井証人の証言には、多分に誇張があるといつてよいであろう。なお、同証人は、中村隆三が労働組合における過激分子であつたから、同債権者がこれと交際することにより調査掛の秘密が漏洩する虞があつたと供述しているが、そのような漠然とした抽象的危険性を理由に同債権者の将来の幹部職員としての適格性を云々することはもとより許されない。

〔一二七〕   (3) 次に、債務者代理人は、同債権者が昭和二五年当時、勤務時間中職務を放棄し、アカハタ等の共産党機関紙を配布したとも主張しており、証人今井栄泰の第一回証言は、右主張に副うものであるが、この点にかかる同証人の供述も、そのまま受け容れることはできない。すなわち、同債権者本人尋問の結果によると、当時労働課にあつては、課長、掛長等をはじめ、同債権者自身もアカハタを購読していた関係上、給仕が若干部数の同誌を事務室に持参していたので、同債権者も時に同誌を上司の机の上まで取り次いだこともあるにすぎないことが一応認められるのである。したがつて、この点について格別同債権者を非難すべき事由はない。

〔一二八〕   (4) なお、債務者代理人の例示している事実ではないが、右今井証人は、同債権者が調査掛在勤当時勤務時間中毎日一時間は新聞を読んでいたと供述している(第一回証言)。しかし、同債権者本人尋問の結果によると、それは、同債権者が上司から命ぜられて、新聞中の労働問題に関する記事に朱線を引いたり、これに関するスクラップ・ブックを作成するために外ならなかつたことが疎明される。また、同証人は、同債権者が昭和二四年八月頃から同年一二月頃までの間、しばしば勤務時間中たばこの紙で人形を作つて遊んでいたとも供述している(第一回証言)。しかし、この点についても、同債権者の供述するとおり、同債権者は、主に昼食時間中に人形を作つていたのにすぎないのであつて、勤務時間中人形を作つて遊んでいたかどうかは疑わしく、かりにときたまそのようなことがあつたとしても、そのため特に担当業務に支障を来たしたり、他の従業員に悪影響を及ぼしたことはないという方が真実に近いであろう。

〔一二九〕   (5) 最後に、債務者代理人は、同債務者が昭和二四、五年頃、債務者会社が占領軍の意図に反しては存立し得ない事情を充分知りながら、会社内において反占領軍的言辞を弄し、従業員を煽動したと主張する。そして、証人今井栄泰の第一回証言によれば、同債権者は、昭和二五年七、八月頃数回にわたり職場大会にあつて、朝鮮事変は南鮮と米国の侵略戦争であり、労働者は米軍に協力する仕事をすべきでないといつた言辞を用いた発言をした事実が疎明され、右の発言をそれだけ抽出すると、前述のように米軍の管理工場となつていた債務者会社の立場〔九〇〕を無視した、不穏当なものと評されても仕方がないであろう。しかし、同債権者は、何を問題とする職場大会の席上でいかなる趣旨の主張をするためにかような言辞を用いたのかは、全くわからないし、殊に、同債権者の属する総務部労働課の職場大会に出席した従業員は、おおむね事務系統の職員であると推認されるから、同債権者の右発言がはたして怠業を煽動する意図をもつてなされたものかどうか、かりにそうであるとしても、実際上その煽動の効果が幾分かでも期待し得られたかどうかは、甚だ疑問であるといわなければならない。なお、右証人の証言中、同債権者の出席した職場大会がしばしば勤務時間中に喰い込んだという部分は、同債権者本人尋問の結果と比照するとにわかに信用することができない。右の外、同債権者が社内において反占領軍的言辞を弄し、従業員を煽動した事実を認めるに足る資料は存しない。

〔一三〇〕 以上述べたところを綜合すると、同債権者の債務者会社における勤務状態と言動には、多少軽率で遺憾な点がなかつたといい切れないのであるが、その程度は、むしろ軽微であつたと評価すべきであり、債務者会社としては、同債権者の勤務状態を苦々しく思つたこともあろうが、その原因の一半は、債務者会社が同債権者に適合した職場と仕事を与えなかつた点にもあるといえるであろう。かように考えると、債務者会社が、入社後一年半にしかならない同債権者を前述のような事実関係だけで幹部要員不適格者と断定し、また、これに対し解雇処分をもつて臨んだことは、些か酷に失し、到底就業規則上の根拠があるとは思えないのである。

〔一三一〕  (六) 以上(一)乃至(五)において説明したとおり、債務者会社が債権者1遠藤忠剛、同2尾崎辰之助、同46橋本広彦、同58市田謙一及び同61赤田義久の五名に対して行つた解雇処分は、すべて就業規則上の根拠を求めることができないものであるから、既にこの点において無効と考えるのが相当である。したがつて、債権者等代理人は、右解雇処分が日本国憲法第一四条、労働基準法第三条違反〔五〕、不当労働行為〔七〕として無効であるとも主張しているのであるが、もはやこの点に対する判断を進める必要がないものといわなければならない。

〔一三二〕 八 ところで、債務者代理人は、退職願を提出しなかつた債権者1遠藤忠剛、同2尾崎辰之助、同46橋本広彦、同58市田謙一及び同61赤田義久の五名も、解雇通告を受けた後何等異議を留めないで債務者会社の供託した退職金と解雇予告手当を受領しながら、今なおこれを返還していないから、すべて自己に対する解雇処分を承認したものであると主張する〔二六〕。そして、これら五名の債権者等が各自右供託金を受領した事実は、債権者等代理人も認めるところであり、また、前掲疎乙第五九号証の二、証人中田俊一の第二回証言、並びに、同証言により真正に成立したと疎明される同第五九号証の一、によれば、右の供託金を受け取つた日時は、債権者1遠藤が昭和二六年三月一四日、同2尾崎が同月一〇日、同46橋本が同年四月六日、同58市田が昭和二五年一二月一日、同61赤田が昭和二六年四月二四日であることが一応認められる。しかし、これより先昭和二五年一〇月二〇日、債権者1遠藤が自ら選定当事者となつて債務者会社を相手方に解雇無効を理由とする身分保全の仮処分を申請していたことは前述のとおりであり〔七五〕、前掲疎甲第一八号証によれば、債権者2尾崎、同58市田及び同61赤田もその選定者に加わつていたことが認められ、また、債権者46橋本もその後同年一一月八日独立に債務者会社を相手方として同様の仮処分を申請したという債権者等代理人の主張事実〔一一〕も、債務者代理人において明らかに争わないから自白したものとみなすべきであり、同仮処分申請事件が昭和二七年末頃までは当庁に係属中であつたことも、当事者間に争のないところである〔一一、四七〕から、やはりこれらの債権者等は、供託金を受領することにより解雇を承認したわけでも解雇の無効を主張する権利を放棄したわけでもないと解するのが合理的である。殊に、債権者1遠藤、同2尾崎及び同61赤田は、他の二名の被解雇者と連名の上、昭和二六年三月二九日(遠藤及び尾崎については供託金受取後であるが、赤田についてはその前にあたる。)債務者会社にあて、解雇の効力は依然として争うけれども、供託金は未払賃金の一部として受け取る旨記載した通告書を内容証明郵便に付して発していることが、成立につき争のない疎甲第一五号証により疎明されるのであるから、その解雇を承認する意思でなかつたことは、明瞭であるといわなければならない。もつとも、これらの債権者等が、一方で解雇処分の無効を主張しながら、他方で債務者会社において退職金及び解雇予告手当として供託した金員を受け取つたことは、信義則上些か問題ではあるけれども、それだからといつて同債権者等が解雇を承認したものと断定することは困難である。これを要するに、右債権者五名において解雇処分を承認したとする債務者代理人の主張は理由のないものである。

〔一三三〕 九 以上説明したところから明らかなように、債権者1遠藤忠剛、同2尾崎辰之助、同46橋本広彦、同58市田謙一及び同61赤田義久の五名と債務者会社との間の雇傭契約は、今なお存続しているものといわなければならない。しかるに、債務者会社が右債権者等に対し解雇処分後の分の賃金を幾分かでも支払つたという事実は、何等債務者代理人において主張するところがない。そして、債権者1遠藤の解雇当時における平均手取賃金月額が金二〇、八〇〇円、同2尾崎のそれが金三〇、五〇〇円、同46橋本のそれが一五、二〇〇円、同58市田のそれが金二二、七一五円、同61赤田のそれが金一〇、二二〇円であり、同債権者等に対する賃金支給日が46橋本については毎月二八日、その余の債権者四名については毎月二四日と定められていたという債権者等代理人の主張事実(別紙(一))は、債務者代理人において明らかに争わないから、これを自白したものとみなすべきである。

しかし、右債権者等の賃金債権が現在なお存在しているかどうか、また、その存在が認められるとしてもこれを行使することが許されるかどうかについては、なお考察しなければならない若干の問題が残つている。

〔一三四〕  (一) まず、債務者代理人は、右賃金債権が時効によつて消滅したと主張するのである〔四四〕。そして、右債権者等が昭和二五年一〇月二一日からの賃金を支給されておらず、その支払日が、ある者については毎月二四日、ある者については毎月二八日になつていることは前述のとおりである〔一三三〕から、その未受取賃金債権の最初の弁済期は、同月二四日又は同月二八日になるわけであるところ、右債権者等が本件の賃金仮払仮処分の申請に及んだのは、昭和三一年二月二日であることが記録上明らかであるから、その間に五年以上を経過している計算になる。しかるに、労働基準法第一一五条によれば、賃金請求権は、二年の短期時効によつて消滅することになつている。そこで債務者代理人は、右債権者等の未受取賃金債権も消滅したというのである。しかし、同法条に規定する短期時効によつて消滅する賃金請求権は、労働契約から生ずる一個の基本たる賃金債権ではなく、これから各支払期日毎に派生するところの賃金債権を意味すると解すべきであるから、本件の右債権者等の賃金債権が全面的に時効によつて消滅したという債務者代理人の主張は当らない。しかしそれにしても、右債権者等の未受取賃金債権中、本件仮処分申請がなされた昭和三一年二月二日から逆算して二年前の昭和二九年二月二日になる以前に支払期の到来した同年一月末日までの分は、やはり労働基準法第一一五条の定める二年の短期時効によつて消滅したと解すべきであるから、同代理人の抗弁も、右の限度においてのみ理由があり、その余は失当であるといわなければならない。

〔一三五〕  (二) 次に、債務者代理人は、債務者会社にあつては、五、六年前債権者等を整理して以来人員の増減、配置転換、昇給等が度重ねられ、職場事情が変更しているから、今更これを復職させることは困難であり、右債権者等がこの復職を前提として長年月分の賃金の支払を対価たる労働の給付もなくして求めるのは、権利の濫用であると主張する〔四五〕。しかし、債務者会社の職場事情が変更したからといつて、労働者に賃金を支払わなくてよい理由は考えられないし、右債権者が労働の給付をしていないのは、債務者会社のいわれのない就労拒否に基くものであるから、これらの事由をもつて権利濫用を云々するのは当らない。

〔一三六〕  (三) もつとも、右債権者等が債務者会社から整理された後五年以上も賃金を請求していなかつたことは、前述のとおりである〔一三四〕から、今更これを請求することが許されるかどうかについては、いわゆる失効(Verwirkung)の原則との関連においてなお検討する必要がある。(債務者代理人は、右債権者等の私法上の賃金請求権が失効したとは明らかに主張していないけれども、その賃金仮払仮処分を求める権利は失効したといつているのである〔四八〕から、その権利濫用の主張の中には、甚だ曖昧ではあるが賃金請求権が失効したという趣旨の主張も含まれていると解し得ないではない。また、失効の原則を適用すべきかどうかの問題は、消滅時効の成否などとは異なり権利自体が内容的制限を受けているかどうかに関係するところであるから、当事者の主張がなくても、裁判所が職権をもつて考慮しなければならない事項である。)

おもうに、失効の原則は、ドイツの判例学説によつて認められ、わが最高裁判所においても解除権についてその適用が肯定された(昭和三〇年一一月二二日第三小法廷判決・民集第九巻第一二号一、七八一頁以下登載)ところの未だ発展段階にある理論であつて、その意味するところについては定説がないけれども、その法律的基盤は、民法第一条に掲げられた信義誠実の原則にこれを求めなければならない。すなわち、権利者が久しきにわたつてその権利を行使しないため、相手方においてその権利はもはや行使されないであろうとの正当な信頼を抱き、その遅延した権利の行使が取引界を支配する信義則に照らして不誠実と思われる場合にあつては、その権利は、もはや失効したものとしてその行使が許されないと解されるのである。したがつて、失効の原則を適用するためには、権利が久しきにわたつて行使されなかつたという時の経過だけでは不充分なのであつて、遅延した権利の行使が信義則に反するとみられるような特別の事情が存在していなければならない。すなわち、相手方が失効の抗弁をもつて対抗することができるのは、権利者の従来の沈黙的態度とその現に意図している権利の行使との間に、信義誠実の原則に照らして到底両立し得ない矛盾撞着がある場合に限ると解するのが相当である。

しかるところ、本件の右債権者等が、債務者会社から昭和二五年一〇月一四日附をもつて整理の通告を受けるや、逸早く同月二〇日及び同年一一月八日の二組に分れ、解雇無効を主張して当庁に身分保全の仮処分申請に及んだことは、前述のとおりであり〔一三二〕、更に、昭和二七年一一月一二日及び昭和二八年八月二一日の二組に分れ、債務者会社を被告として当庁に解雇無効確認訴訟を提起したとの債権者等代理人の主張事実〔一一〕は、債務者代理人において明らかに争わないから、これを自白したものとみなすべきであり、なお、同訴訟において昭和三〇年一二月二六日右債権者等勝訴の第一審判決が言い渡されたこと、これに対する控訴審が現在なお大阪高等裁判所に係属中であることは、前述のとおり当事者間に争のないところである〔五八〕。かような事実関係を綜合すれば、右債権者等は、前示昭和二五年一〇月一四日附の整理通告を受けて以来、終始債務者会社との間の雇傭契約が存在していることを主張し、争訟を続けているものというべきであるから、債務者会社においてもその間同債権者等からやがて何等かの形で未払賃金の請求を受けるものと予測していたことは、一応これを推認するに難くない。すなわち、右債権者等が、昭和三一年二月二日に至りようやく本件の仮処分申請を提起し、その本案請求権として賃金債権を掲げていることを、単に時間的経過の観点から見るとその権利の行使は、甚だしく遅延したものと評すべきであるけれども、それが信義則に照らし同債権者等の従来の態度と相容れない不誠実なものであるという特段の事由は、これを認めることができないのである。

してみれば、右債権者等の未受領賃金の請求が失効の原則の適用を受けて許されないという見解は、これを採ることができない。

〔一三七〕 一〇 次に、債務者代理人は、債権者1遠藤忠剛、同2尾崎辰之助、同46橋本広彦、同58市田謙一及び同61赤田義久の五名にかかる本案請求権たる賃金債権の存否の問題とは離れて、これに基く本件仮処分申請が、その時期の点との関連において失当であると主張し、二つの理由を掲げているので、この点について考える。

〔一三八〕  (一) まず同代理人は、右債権者五名は、債務者会社から解雇処分を受けた直後にあつても、本件の場合と同様当庁に右解雇の無効を理由とする地位保全の仮処分を申請したが、二年後その申請を取り下げたのであるから、これにより同趣旨の仮処分を申請する権利を放棄したものと解すべき旨主張するのである〔四七〕。そして、債権者等代理人も、これら五名の債権者等がさきに当庁に右のような仮処分を申請しながら、これを取り下げたものであることは、これを認めている〔一一〕。しかし、元来仮処分申請の取下は、裁判所に対して行われる意思表示にすぎないのであつて、本件の債権者等が特に右取下に当つて債務者会社に対し再度同種の仮処分を申請しない旨の意思を表示した事実は、何等債務者代理人において主張、疎明するところがない。また法も、一旦仮処分申請を取り下げた者が再度同種の申請を繰り返すことを当然許されぬものとしているわけではない(民事訴訟法第二三七条第二項)。したがつて、この点に関する債務者代理人の主張は、到底採用に値しないものである。

〔一三九〕  (二) 次に、債務者代理人は、右五名の債権者等が前記第一回の仮処分申請を取り下げてから後は、権利の上に眠つていたものというべきであるから、その本件仮処分を求める権利は、失効の原則の適用上消滅に帰した(いわゆる権利失効の効果は、他の許されない権利行使の場合と等しく、失効した権利が無効に帰するのでなく、その行使が許されなくなるだけであるから、右の表現は、妥当でないけれどもそれはしばらくおく。)ものと主張する〔四八〕が、同債権者等の本仮処分申請の本案請求権が失効していないことを説明したところ〔一三六〕と同様の理由により、右主張もまたこれを採用することができない

〔一四〇〕 一一 ところで、債権者等代理人は、本件の仮処分において昭和三〇年一二月末日までの未払賃金の内金五〇、〇〇〇円ずつを各債権者に対し一律に支払うことを命ずるよう求めているのである〔一、一三〕が、債権者等の同年月日までの未受取賃金債権の中には、時効によつて消滅した部分と消滅しない部分とがあることは、前述のとおりである〔一三四〕ところ、同代理人は、右金五〇、〇〇〇円ずつの賃金債権がいずれの時期に属するものであるかを明らかにしないので、本件の仮処分においてこの分の仮払を命ずることは、本案請求権の存在しない仮処分を命ずる結果をもたらす虞があるから、結局右金五〇、〇〇〇円全部について許されないと解するのが相当である。

〔一四一〕 一二 よつて、以下債権者1遠藤忠剛、同2尾崎辰之助、同46橋本広彦、同58市田謙一及び同61赤田義久の五名について、その求める昭和三一年一月一日以降の賃金の仮払仮処分の必要性の有無、限度を考えることとする。

〔一四二〕  (一) この点に関し、債務者代理人は、右債権者等が、いずれも充分な生活力を有する青壮年であつて、債務者会社から賃金を受けられなくなつたとはいえ、失業保険金の支給を受けたし、しかもその後六年以上を経過しながら健在なのであるから、その間相当の収入を得ていたに相違なく、現在も生活に窮している筈はないと主張するのである〔五〇〕が、これは、抽象論であつて、個々の債権者について具体的に検討してみなければ、その当否を決することはできないであろう。

〔一四三〕  (二) そこで、当裁判所が右債権者五名について個人別に認定したところの生活情況とこれに基く仮処分の必要性の有無、限度は、次のとおりである。

〔一四四〕   (1) 債権者1遠藤忠剛について。

成立につき争のない疎甲第一九及び第二〇号証、同債権者本人尋問の結果により真正に成立したものと疎明される同第二一及び第二二号証、証人仲田俊明の証言、並びに、同債権者本人尋問の結果を綜合すると、(イ)同債権者は、明治三七年一二月八日生であつて、妻と老母の外、一四歳を頭とする四人の子を扶養すべき地位にあり、しかもその中の二人の幼児が病弱であるため、相当多額の生活費が必要であること、(ロ)本件解雇処分後昭和二六年四月頃からコーンズ・カンパニーという大阪の貿易会社に勤務し、月給約二五、〇〇〇円を得ていたが、債務者会社からレッド・パージで解雇された経歴が発覚したため、昭和二八、九年頃この会社からも解雇され、また神戸市内の倉庫会社に就職して月収二〇、〇〇〇円を得ていたこともあるが、会社自体の営業状態がよくなかつたので、約六箇月間勤務しただけで退職し、現在は定職に就くことができず、無収入であること、(ハ)そうしたことから、同債権者は、甚だしく生活に困窮し、昭和三一年二月一日以降生活保護法による生活扶助を受けているのであるが、それでも病児の医療費や米屋に対する支払すら滞つている状態であることが一応認められる。

債務者代理人は、同債権者が東大法学部出身の働きざかりの者であるから、働く意思さえあれば充分その生活を維持し得る筈であるとして、その申請にかかる仮処分の必要性がないと主張する〔五一〕。しかし、同債権者のような左翼的思想傾向と、かつてレッド・パージで解雇された経歴を有する者は、いかに学歴や能力において秀でるところがあつても、現在のわが国の社会、殊に資本家達に容易に受け容れられない傾向のあることは、それが好ましい事態であるかどうかは別として、現実には否定し難い顕著な現象であるから、その論旨にはにわかに賛同することができない。

なお、債務者代理人は、同債権者のように債務者会社から解雇された後他に就職し、再びそこから解雇された者の生活難は、むしろ第二の就職先からの解雇に基因するもので、債務者会社からの解雇との間の因果関係は中断していると解されるから、賃金仮払仮処分申請の相手方として本件の債務者会社を選んだのは誤りであると主張する〔五三〕。

しかし、同債権者と債務者会社との間の雇傭契約関係がなお存続しているにもかかわらず、債務者会社が故なく同債権者に対する賃金支払を拒否している以上、同債権者の現在の生活難が債務者会社の右債務不履行の結果であると考えることは、極めて自然であり、その間に同債権者が他に就職し、再びそこから解雇されたという事情が介在するからといつて、右因果関係の継続を否定すべき論理的根拠はない。すなわち、同債権者の現在の生活難は、第二の就職先から解雇されたことに基因するのと同じ意味において、これと競合し、債務者会社からの解雇処分にも基因すると解し得るのである。もし債務者代理人の主張する因果関係中断論に従うとすれば、使用者は、労働者を不当に解雇して生活難に陥れたとしても、その労働者がやむなく一時しのぎにでも他に就職する途を選び、たとえごく短期間でもそこに勤務した以上、右不当解雇に基く生活難を理由とする仮処分により賃金の仮払を命ぜられる虞がなくなるわけであつて、甚だしく不合理であるといわなければならない。それ故、同債権者が賃金仮払仮処分を申請するについては、第二の就職先だけを相手方に選ぶべきであると解しなければならない理由はない。もつとも、同債権者が、債務者会社との間の雇傭関係の存続を主張することを放棄する旨の明示又は黙示の意思を表示した上、他に就職したというのであれば、債務者会社に対しその時以降の賃金を請求し得ないわけであるから、債務者代理人の援用する因果関係中断論とは直接関係のないことではあるが、右賃金請求権を本案とする仮処分申請は、もちろん許されないものというべきである。しかし、同債権者が右に述べたような意思を表示したことの疎明はなく、かえつて弁論の全趣旨によれば、同債権者は、債務者会社から解雇された後、あくまでもその解雇処分の効力を争う意思を堅持しながら、その生活維持のため暫定的に窮余の方策として他に就職したものと一応認められるのであるから、同債権者と債務者会社との間の雇傭契約は、やはり存続していると見るべきであり、したがつて、右雇傭契約上の賃金請求権を本案とする本件仮処分申請が、相手方をとり違えているものとして失当であるという主張は成立しない。また、同債権者が第二の就職先から相当の収入を得ていた間は、生話に窮していなかつたかもしれないが、それだからといつて、同債権者の現在の生活難が、債務者会社からのいわれのない賃金不払を原因とするものでないと解することはできない。

よつて、当裁判所は、同債権者が前述のようなさし迫つた生活難を免れることができるように、債務者会社において同債権者に対し、本案判決が確定するまで、解雇処分の後であつて既に履行期の到来した昭和三一年一月一日から昭和三二年八月三一日までの、解雇当時における平均手取月額金二〇、八〇〇円の割合による合計賃金四一六、〇〇〇円、並びに、未だ履行期の到来していない同年九月一日以降の賃金として、同月以降毎月二四日(債務者会社における所定賃金支払日)限り右金二〇、八〇〇円ずつをかりに支払うことを命ずる必要があるものと認める。

〔一四五〕   (2) 債権者2尾崎辰之助について。

方式及び趣旨により真正に成立したものと疎明される疎乙第七三号証、証人仲田俊明の証言、並びに、同債権者本人尋問の結果を綜合すると、(イ)同債権者は、五一才であつて、妻(婦人民主クラブ神戸支部長)、長女(日本大学医学部在学中)及び長男(静岡大学工学部在学中)の生活費、教育費を支弁すべき地位にあること、(ロ)債務者会社から解雇された後、大平工業株式会社というあまり業績のあがらない電気工事請負会社の社長をしていたことがあり、また、昭和三一年四月頃も会社(どのような会社かはわからない。)の役員をしていたけれども、現在は定職に就いておらず、弾性工学の研究に従事し、最近この分野の学術論文を執筆したが、定収入というものは得ていないこと、(ハ)したがつて、同債権者の家族の生活は、他人の経済的援助によつて維持されており、遊学中の長女と長男の学資もその援助者から支出されていて、同債権者自身は、全然仕送りをしていないことが一応認められる。

しかし、同債権者及びその家族の生活情況に関しては、右に述べた以上のことを具体的に疎明するところの資料は何もないから、同債権者がはたしてどの程度生活に困窮しているのか、これを捕捉することは必らずしも容易ではない。ただ、右のように疎明された事実関係からすると、遊学中の子女の学資及び生活費は、ともかくも現在好意ある援助者が支出してくれているのであるから、その返済の問題も考えねばならないかもしれないけれども、それは、やがて同債権者が本案訴訟において勝訴した暁、又はこれらの子女が卒業して各自相当の収入を得られるようになつた時期まで猶予を乞うことも、さして困難でないと一応推測してもよかろう。それ故、さしあたり本件において民事訟訴法第七六〇条により債務者から同債権者に仮払を命ずる賃金額としては、同債権者夫婦だけの生活を維持するのに必要な限度にとどめておくのが相当である。また、同債権者が会社役員をしていた期間の正確なところはわからないが、その間は少くとも右夫婦二人の生活を推持するに足る収入を得ていたと一応推認されるから、本件の仮処分においても、債務者に対し右期間内の賃金の仮払を命ずるのは妥当ではあるまい。

なお、債務者代理人は、同債権者も東大工学部出身の働きざかりの者であるから、働く意思さえあれば充分その生活を維持し得る筈であるとして、その申請にかかる仮処分の必要性を全面的に否定するのである〔五一〕が、さきに債権者1遠藤忠剛に関する同趣旨の主張を排斥したところ〔一四四〕と同様の理由により、右の論旨は、これを容れることができない。

かような次第で、当裁判所は、債権者2尾崎辰之助が右に述べた程度の経済困難を免れることができるようにするためには、さしあたり債務者会社において同債権者に対し、本案判決が確定するまで、既に履行期の到来した賃金としては、解雇処分の後であつて、しかも、同債権者が定収入を得られなくなつた後であると一応推認される昭和三一年一二月一日(同債権者は、本件において同年一二月一七日尋問を受け、目下無収入であると供述している。)から昭和三二年八月三一日までの、解雇当時の平均手取月額金三〇、五〇〇円の範囲内である月額金二〇、〇〇〇円の割合による金一八〇、〇〇〇円、並びに、未だ履行期の到来していない同年九月一日以降の賃金としては、同月以降毎月二四日(債務者会社における所定賃金支払日)限り右金二〇、〇〇〇円ずつをかりに支払うべき旨命ずることが必要であるけれども、それ以上の金額の仮払を命ずる必要はないものと認める。

〔一四六〕   (3) 債権者46橋本広彦について。

同債権者が大正三年三月二三日生であるという債務者代理人の主張事実(別紙(八)中同債権者に関する項)は、債権者等代理人において明らかに争わないから、これを自白したものとみなすべきであり、右事実と証人仲田俊明の証言及び同証言によつて真正に成立したと疎明される疎甲第五号証とを綜合すれば、同債権者は、扶養家族一名(ただし、その年令、性別、同債権者との身分関係は何に当るのかよくわからない。)を抱え、現在政党役員をしていて手取月収金約七、〇〇〇円を得ているにすぎないことが一応認められる。同債権者の生活情況についてもそれ以上のことは何もわからないが、右事実関係からして、やはり相当生活に困窮しているものと一応推認しなければなるまい。

よつて、当裁判所は、同債権者がその生活難を免れることができるようにするためには、さしあたり債務者会社において同債権者に対し、本案判決が確定するまで、既に履行期の到来した賃金としては、解雇処分の後である昭和三一年一月一日から昭和三二年八月三一日までの、解雇当時における平均手取月額金一五、二〇〇円の範囲内である月額金一三、〇〇〇円の割合による金二六〇、〇〇〇円、並びに、未だ履行期の到来していない同年九月一日以降の賃金としては、同月以降毎月二八日(債務者会社における所定賃金支払日)限り右金一三、〇〇〇円ずつをかりに支払うべき旨命ずることが必要であるけれども、それ以上の金額の仮払を命ずる必要はないものと認める。

〔一四七〕   (4) 債権者58市田謙一について。

同債権者が遅くとも昭和二八年七月ある会社に就職して現に手取月収金二五、〇〇〇円を得ている事実は、債権者等代理人の自認するところである〔一三〕。しかし、他方同債権者が大正三年三月一九日生であるという債務者代理人の主張事実(別紙(八)中同債権者に関する項)は、債権者等代理人において明らかに争わないから、これを自白したものとみなすべきであり、この事実と前掲疎甲第五号証及び証人仲田俊明の証言とを綜合すれば、同債権者は、少くとも三名の扶養家族(債権者等代理人は、内二名が病弱な子供であると主張している〔一三〕けれども、その他これら家族の年令、性別、同債権者との身分関係のよくわからないことは、債権者46橋本広彦の場合と同じである。)を抱えており、また、債務者から解雇された後二年間無収入であつたため、かなりの借金ができたことが疎明される。債権者等代理人は、右借金が金三〇〇、〇〇〇円に達したと主張しており〔一三〕、右主張に副う具体的な疎明資料はないけれども、前記認定事実からすると、これをあながち誇張と断じ去るのは当らないであろう。もつとも、右借金中どの程度が返済されたかについては、具体的な資料を欠いているし、その他本件の証拠上同債権者の生活情況について認定可能の事実は何もない。

そこで、上述の事実関係から考えて、本件の仮処分において同債権者のため賃金仮払を命ずる必要があるかどうか、その必要があるとしても、その金額をどの程度に認めるのが相当かは、かなり困難な問題であるといわなければならないが、当裁判所は、やはり同債権者がかなりの借金を抱え相当生活に窮しているものと一応認定し、右生活難を免れることができるようにするためには、さしあたり債務者会社において同債権者に対し、本案判決が確定するまで、解雇処分の後である昭和三一年一月一日から昭和三二年八月三一日までの、解雇当時における平均手取月額金二二、七一五円の範囲内であつて、現在の月収では月々の家族の生計費に不足すると一応考えられる金五、〇〇〇円の割合による金一〇〇、〇〇〇円、並びに、未だ履行期の到来していない同年九月一日以降の賃金としては、同月以降毎月二四日(債務者会社における所定賃金支払日)限り右金五、〇〇〇円ずつをかりに支払べき旨命ずることが必要であるけれども、それ以上の金額の仮払を命ずる必要はないものと認める。

〔一四八〕   (5) 債権者61赤田義久について。

前掲疎乙第四四号証の一、成立につき争のない同第七五号証の一、二、並びに、同債権者本人尋問の結果を綜合すると、(イ)同債権者は、現在ある団体の書記をしていて、手取月収金約一三、〇〇〇円を得ていること、(ロ)また、同債権者が大正一五年四月一二日生であることは、前に認定したところである〔一二四〕が、未だ独身であつて、神戸市垂水区西垂水町陸之町九九六の三にある母の所有家屋に母、姉及び妹と同居していること、(ハ)母は、茶華道を教えていて、約二〇名の弟子があり、姉は脊椎カリエスを患つている不具者であるが、妹は、幼稚園の保母をしていること、(ニ)同債権者の亡父は、同市兵庫区大開通二丁目二〇番地で接骨業を営んでいたのであるが、その家業は、同債権者の姉婿赤田直太郎がこれを継承し、かなりの収入を得ていることが疎明される。

そこで、右認定事実によると、同居の母と妹は、それぞれ多少とも収入を得ているのであるから、特に同債権者から経済的援助を仰がねばならないとは思われず、残る不具の姉は、一応無収入であると推認すべきであろうが、母や家業を継承した姉婿直太郎がいるにもかかわらず、同債権者だけに扶養されているとは通常考えられないし、また、そのように認定するに足る疎明資料も存しない。結局本件において同債権者のため賃金仮払仮処分を命ずる必要があるかどうかを判断するについては、同債権者には扶養家族が一人もなく、しかも、母の所有家屋に身内の者と同居しているのであるから、住居費を全然支出しなくてもよいということを前提にして考えねばならないことになる。そうすると、同債権者の現収入が手取月額金約一三、〇〇〇円であるということは、その年令、経歴(同債権者が昭和二四年三月東京大学法学部を卒業していることは、前に認定した〔一二四〕。)から考えて決して多いものといえないのはもちろん、これではやがて妻帯した暁の生活設計も立てられないであろうが、さしあたり同債権者だけの月々の生活費をまかなうには事欠かぬと断ずるの外はあるまい。それ故、右に述べた程度の同債権者の生活現況では、未だ民事訴訟法第七六〇条所定の仮処分として、債務者会社に対し同債権者のため多少でも賃金の仮払を命じなければならない程の緊急の必要性が存在するものとはいえないであろう。よつて同債権者の本件仮処分申請は、この点において失当であるといわなければならない。〔一四九〕  (三) 以上判示したところによると、債権者1遠藤忠剛に関しては本件解雇処分当時の平均賃金の全額〔一四四〕債権者2尾崎辰之助及び同46橋本広彦に関してはその大部分〔一四五、一四六〕について仮払仮処分の必要性が認められるわけであるが、債務者代理人は、労働基準法第二六条の趣旨からして、解雇当時の平均賃金の六割を超える金額の仮払を命ずべきではないと主張する〔五二〕。しかし、仮処分命令において故なく労働者の就労を拒んだ使用者から当該労働者に仮払を命ずる賃金額を判定する場合において、当該事実関係の如何によつては、仮払額の算出のよりどころとして右の法条の趣旨を酌むのが適当な事案もないわけではないけれども、常にその平均賃金の六割の限度にとどむべきものとする一般論は、同条の趣旨から当然に導き出されるものではないから、本件の事案において同代理人の右主張を採用することはできない。

〔一五〇〕 一三 最後に、債務者代理人は、本件の仮処分において賃金の仮払を命ずることは、債権者等に対し本案勝訴確定判決と同様に権利の終局的満足を与えるもので、しかも、その回復は事実上不可能であるから、法律上仮処分として許容される限界を逸脱するものであると主張する〔五四〕ので、この点に関する当裁判所の見解を明らかにする。

民事訴訟法第七五八条第一項によれば、仮処分命令の内容としてどのような処分を定めるかは、裁判所の裁量に委ねられており、債務者から債権者に一定の給付を命ずることも可能であることは、同条第二項の明文によつて明らかであるけれども、その処分の内容は、仮処分の目的を達するのに必要な範囲を超えるようなものであつてはならない。したがつて、特許権等の侵害の場合における営業の全面的禁止、商号権の争の場合における商号登記の抹消等を命ずる仮処分命令は、もちろん許されないし、売買に基く請求権を本案とする目的物件の引渡や、賃貸借の終了を理由として不動産の明渡を命ずる仮処分命令なども、原則としてこれを認めてはならないのである。しかし、債務者代理人の主張するような、およそ仮処分命令の内容がその執行の結果債権者に権利の終局的満足を与えるようなものであつてはならないという命題は、個別的給付請求権を被保全権利とし、その執行の保全を目的とした民事訴訟法第七五五条の係争物に関する仮処分については妥当するであろうけれども、強制執行の保全を目的とせず、係争関係につき仮の地位を定めるための同法第七六〇条の仮処分については、必ずしも同様に解しなければならぬものではない。すなわち、同条の仮処分命令の申請を受けた裁判所は、特に緊急の必要性のあることを認めた以上、債権者に本案勝訴確定判決と同様に権利の終局満足を与えるところの仮処分を命ずることも、その裁量権の範囲に属するものと解するのが相当である。債務者代理人は、かような満足的仮処分の結果、原状回復が事実上不可能となる虞があると主張するのであるが、右は、裁判所がかような仮処分を命ずるについては慎重でなければならないという事情を述べているのであれば格別、理論上満足的仮処分命令が許されないという根拠として主張しているのであれば、理由のない見解であると評するの外はない。そして、当裁判所は、債権者1遠藤忠剛、同2尾崎辰之助、同46橋本広彦及び同58市田謙一と債務者会社との間に雇傭契約関係が今なお継続しているにもかかわらず、債務者において故なくその賃金を支払わないため同債権者等の生活が窮迫していると認定し、本件の仮処分命令において、各自の未受取賃金の内必要最小限と考えられる金額の仮払を債務者に命ずるものであるから、その仮処分は、何等強制執行の保全を目的とするものでなく、係争関係について仮の地位を定める民事訴訟法第七六〇条の仮処分たる性格を有し、かつ、同条に定める要件に欠けるところはない。したがつて、本件の仮処分命令の執行の結果がある程度同債権者等に権利の終局的満足を与え、その回復が事実上不可能乃至困難であるとしても、その仮処分命令は、法律上許容されている仮処分の限界を何等逸脱するものではなく、この点に関する債務者代理人の主張は、採用に価しないものである。

〔一五一〕 一四 そこで、以上説示したところを要約し、本判決の結論を示すと、左のとおりである。

〔一五二〕  (一) 債務者会社が債権者1遠藤忠剛、同2尾崎辰之助、同46橋本広彦、同58市田謙一及び同61赤田義久の五名に対して行つた解雇処分は、いずれも就業規則上の根拠がないものとして無効である〔一三一〕から、右債権者五名と債務者会社との間には今なお雇傭契約関係が存続するものであつて、これに基く賃金債権(ただし、時効により消滅したと考えられる昭和二九年一月三一日までの分〔一三四〕を除く。)を本案請求権として、その仮払を命ずる仮処分の許否及び限度を考えることとし、まず、前記のとおり昭和三〇年一二月三一日までの賃金の内金五〇、〇〇〇円ずつの仮払を求める部分を排斥し〔一四〇〕、結局昭和三一年一月一日以降の賃金につき仮払の必要性の有無を吟味した上、(イ)債権者1遠藤、同2尾崎、同46橋本及び同58市田のためには、前記のように各自の生活難の程度に応じ主文第一項記載の金額の賃金の仮払を債務者会社に命ずることとし〔一四四―一四七〕、(ロ)債権者61赤田の仮処分申請は、その生活現況では未だ賃金仮払を受けねばならぬ緊急の必要性の存在を認め難いから、これを棄却すべきものとする〔一四八〕。

〔一五三〕  (二) 次に、その余の債権者六四名と債務者会社との間の雇傭契約については、当事者間に合意解除が有効に成立したため消滅に帰したと考えられるから、右雇傭契約関係の存続を前提とするこれら債権者六四名の仮処分申請は、既にこの点において失当として棄却しなければならない。

〔一五四〕 以上の理由により、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 前田治一郎 吉井参也 戸根住夫)

(別紙省略)

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